はやいもので、大学ではじめて教壇に立ってから、早くも12年がすぎようとしている(2020年3月現在)。ちなみに、はじめて教壇に立ったのは、東京家政大学。「人間論」という講義だった。
この12年のあいだに、いろんな変化があった。
こどもは2人から4人に増えた。にぎやかになった。そして、毎日が楽しさと驚きの連続だった。
社会に目を向けると、東日本大震災と福島第一原発事故という大激震が走った。いまだに4万人以上の方が、故郷を喪失したままの状況にある。それなのに、「復興」という言葉だけが独り歩きし、世間は事故の悲惨さを忘却しているように感じてきた。
いろいろ、モヤモヤする思いがあった。けど、SNSでの発信は敬遠していた。
それには理由がある。
ネットを見ていると、コメント欄には、口にするのもはばかられるような、きたない言葉が溢れかえっている。でも、投稿している人はみな、ふだんはそんな言葉を使わないのだと思う。ネット特有の匿名性が、そうさせているのではないか。だとすると、コミュニケーションは、やっぱり対面でしなくちゃ人間としての節度が保てないんじゃないかな、とずっと思ってきた。それに、匿名だったら、自分だって感情的な言葉を吐いてしまうかもしれない。
だから、SNSには、これまでいっさい近づかなかったのだ。
自分が大学生になったころ、まだ世の中ではポケベルが全盛だった。女子のみなさんは、公衆電話に列をなし、自分の出番が来ると、プッシュホンを見事な速さで押しまくっていた。サラリーマンさんたちは、ポケベルができたおかげで、交渉が早く終わったあと喫茶店でのんびりすることすらできなくなった。
そんな、平成という前の時代の、しかもその前期の、いまからみればまだまだあまちゃんの技術が行き渡っている微笑ましい時期ですら、自分にはなんだか違和感があった。
だから、スマートフォンを家に忘れたって、いまでも平気な自分がいる。基本的には電話機能しか使わないし、SNSを使っていないから。そのためか、スマホを忘れたと慌てふためいている学生を見て、「なんでそんなに?」と、いまだに不思議で仕方がない。そういうと、学生から「言っている意味がよくわからない」と反論されてしまうのだけれど。
「既読」がついていなかったら、友達から何を言われるか分からない関係性がある、という苦労話を何年も前から学生たちに聞いて、ぞっとしていた。それがいやで、SNSのアプリをアンインストールしたという、私から見れば頼もしい学生もいた。自分も、そんな関係が耐えられそうにないと思ったから、そういう類のアプリを使ったことは一切ない。
そんな化石級の石頭の私が、ブログをはじめてしまった。
なぜなら、新海誠監督作品の映画『天気の子』に、自分の勤める大学が出ていると学生たちが教えてくれたから。そして、主人公である穂高くんの志望研究室が、自分の研究室らしいという噂があったから。
『天気の子』を見に行ってみよう!と思った。鑑賞したら、感想が頭の中に溢れかえってきてしまった。どうしても、文字にしておきたくなった。
仕方がない、いままでさんざんSNSを敬遠してきた手前、恥ずかしいけど、ブログだけ、ちょっとやってみよう!
そのなかで、映画感想記だけでなく、子育てのなかで感じたことや、これまでのいろんなモヤモヤも一緒にぶつけてみよう!
忙しくて記事が書けなかったら、過去に書いた自分の日記をとりあえず掲載し、お茶を濁そう(笑)!
そう思い立ってしまったのである。
そうしてできたのが、この『ものぐさ講師の徒然日記』。
面白いかどうかまったく自信はないけれど、よかったら覗いてみてください。