~~~~~
1,20余年間、全国でずっと減らされてきた感染症病床数
医療法改正法案の動きにあわせて、「医療を守ろうプロジェクト」という団体が、change.orgという署名サイトで、病床削減推進法案に反対する署名活動をさっそく始めている。
キャンペーン · 内閣総理大臣 菅義偉: コロナ禍緊急オンライン署名 #病床削減推進やめろ · Change.org
呼びかけ文を読んでみたら、衝撃的な数字が書かれていた。日本では、病床数削減の圧力がずっとあって、「1998年から2018年までの間で、全国の病床の総数は約189万2000床から約164万1000床、9210床あった感染症病床は1882床にまで削減」されたのだというのだ!
つまり、20世紀末から今に至るまで、感染症病床数はすでに大幅に激減していたのである。
◇◆◇◆◇
2, 医療崩壊と精神科病床数の多さが関係している!?
それなのに、このコロナ禍中で、さらに病床数を削減する法律が成立しようとしている現実・・・。
ただし、今回の法改正が、もしも診療科に偏りのある病床数の抜本的な是正を図るものであるというのなら、その趣旨は理解できる(注)。
前々回のブログで紹介した大村大次郎さんの別の記事によると、診療科による病床数の偏りでとくに問題なのは、精神科の病床数の多さらしい。
そして意外にも、今回の医療崩壊と精神科病床数とは関係していると、大村さんは指摘されている。
「日本の精神科の病床は33万1,700床にのぼり、日本の病床のうち、21.3%は精神科の病床なのです(2017年10月時点)。これは世界的に見て異常な多さなのです。」(大村大次郎さんの上記記事より)
日本で精神科病床が多いのは、戦後、不治の病だった結核患者を隔離するためつくられていった療養所が、結核が治る病気になった結果、療養所の不要論を排するため精神科の病院へと鞍替えされていったという歴史的経緯があるから、らしい。
でも、その結果、民間病院にとって精神科病床は儲かるため、医師会のロビー活動もあってなかなか削減できず、かわりに、公的病院での感染症病床が削られてきてしまった、というのだ。
◇◆◇◆◇
3,医療崩壊している大阪で、これまで減らされてきた病床
そんな矛盾を正すというなら今回の改正も理解できるけれど、おそらくそうはならないだろう。
なぜか? これまでも書いてきたとおり、厚労省は、2019年からすでに、病床を削減した病院へ補助金を出す措置を取ってきているうえ、その際、厚労省によって削減の検討が必要だと名指しされた400以上の病院は、そもそも、感染症対策も中心的に担う公的病院が中心だったのだから!
いまたいへんなことになっている大阪府と兵庫県も、この要請に従い、コロナ禍中の2020年度だけで、病床をそれぞれ123床、79床も削減している。ちなみに、昨年の3月、コロナ禍で社会が大変になり始めていた時に、大阪市の住吉市民病院は取り壊されてしまった。
住吉市民病院のベッド数が、大坂で削減された病床数123のなかに入っているのかどうかは不明だけれど、少なくとも、コロナの感染拡大が始まっていた時期での判断としては、かなり不適切である。
住吉市民病院があったなら助かったいのちが、たくさんあったはずなのだから・・・。
◇◆◇◆◇
4,理解できない政策判断
2回前のブログで紹介したように、大阪府では、橋本改革以降、公的病院の病床数が全都道府県平均20%の半分、約10%にまで落ち込んでいる。
でも、それこそが無駄の削減につながるのだと考えて、橋本さんや、バトンを受け継いだ松井さんと吉村さんは、このような改革を進めてこられたわけである。
しかし、大阪でのいまの医療崩壊は、おそらく、大村大次郎さんが指摘するように、そうやって感染症対策を中心で担う公的病院の病床数を減らし続けた結果、起こっている。
ところが、お三方が中枢を担われている政党が、国会レベルになると、病床数を削減する今回の法案に賛成している・・・。野党の国会議員にたいし、地方自治体がコロナ病床を増やせるよう制度設計をする責任があると、ことあるごとに口撃されてきたにもかかわらず・・・。
大阪で、1割の重症患者しか入院できず、たくさんのいのちが失われているのに、病床数を減らす法案に賛成するという判断を目の当たりにして、私の頭ではもはや、そこにどんな政策的一貫性があるのかまったく理解できず、困っている。
大事な人をコロナで失った府民、市民に、どう説明されるおつもりなのだろう・・・?
~~~~~
(注)「抜本的な是正」という記述に込めた意図をきちんと書いておかないと、ただたんに精神科の病床数を削減すればいい、と私が言っているように誤解を与えてしまうと思ったので、注を付けくわえます。
精神科病棟でも働いていた経験があるK子さんに、いろいろ話を聞いてきた立場から、症状の重い患者さんの行き先を奪ってはいけないと強く思います。問題は、軽症の方をどう社会で受け止めるか、です。日本では、ともすると、病気の祖父母を介抱するヤングケアラーという言葉まで誕生しているように、税負担の軽減を優先するあまり、介護や介助を家族にその負担を負わせようとします。でも、それでは、結果として働き手の数を減らし、社会の弾力を奪ってしまう結果となります。そうではなくて、たとえば工藤律子さんが『ルポ 雇用なしで生きる――スペイン発「もうひとつの生き方への挑戦」』(岩波書店、2016年刊)で紹介されているチーズ工場のように、患者さん自身が生きがいを感じられる就職先をつくったり、家族が介護だけに追われずに済むよう、社会的にケアする仕組みを充実させたりするのが必要だし、社会の弾力性を生むと私は考えています。
そのような対策を立てた先に、ようやく、病床数削減は現実味を帯びてくると考えています。感染症病床数が減らされてパンデミックに対応できず重症患者のケアができないという現状のように、精神科の病床数を減らして、患者さんのケアで仕事を失ったりする家族を増やすだけの未来をつくってはなりません。その意味で、抜本的な是正と記した次第です。(2021年5月22日付記)
(2021年5月22日タイトル修正)