~~~~~
1,後追いするつもり!?
大阪でコロナの感染拡大がなかなか抑えられず悲惨な状況に陥っている理由を、この間のブログで探ってきた。
その主たる理由は、府知事や市長によって進められた、公的病院の病床数の削減という政策だった。
そのために、一般の府民がコロナ感染で重症化しても1割しか即入院が叶わないにもかかわらず、それにもかかわらず、コロナに感染した府政の与党議員がすぐ入院できたというニュースが流れ、不信感が広がっているらしい。
(関連情報ウェブサイト)https://dot.asahi.com/dot/2021051000001.html?page=1
けれど、東京都に住む私にとって、大阪のこの状況は、けっして他人ごとではない。
感染症の拡大と対峙するには、平時の対策がいかに重要かが明らかになっているのに、都立病院の独法化という話が、いま、まさに進んでいるからである。
(関連情報ウェブサイト)https://aria.nikkei.com/atcl/column/19/091300133/051800012/
◇◆◇◆◇
2,いのちをまもる公共部門の圏域について
大阪では、保健所の数も急激に減らされてきた。
リンク先記事の亀岡照子さんのご指摘を読んではじめて知ったのだけれど、保健所の削減圧力は90年代からあって、「改革」が進められた結果、2000年に起こった雪印乳業の牛乳による食中毒事件でも、迅速な対応ができなかったそうだ。
そうした弊害があったにもかかわらず、橋本改革以降、保健所の数がさらに減らされたのだから、理解に苦しむ。
その結果として起こっているコロナ禍中での大阪の医療崩壊が示しているのは、保健所を広域で統合しすぎて、感染者や濃厚接触者の差配、自宅療養者の経過観察、重症者の差配などがきめ細かくできなくなっているという現実である。
つまり、食中毒や感染症対策のように、市民のいのちに直結する公共部門は、その自治の圏域が小さいほどうまく機能するはずなのに、費用対効果に重きを置いて「無駄だ」と統合を進めた結果、かえって機能不全に陥っている、という現実である。
◇◆◇◆◇
3,都立病院の独法化に反対!
このように、コロナ禍と公共部門の自治の縮小との因果関係が、はからずも苦境の大阪で示されているにもかかわらず、東京都政は都立病院を独立行政法人化しようとしているのだ。
端的にいって、目の前の現実が都知事にはまったく見えていないとしか思えない。
変異株が蔓延するなかで、自分の、自分にとって大切な人たちの〈いのち〉をまもる最後の砦は、やはり医療であり、そして公的病院である。
行政がその責任を放棄する政策が、このコロナ禍中でも進められようとしている、という現実。
憤りを禁じ得ない。
都民税の納税者として、先達が残してくれた、いざというときのセーフティーネットを破壊する政策は、大事な人のいのちが危機に瀕しているときに入院できるかどうかも分からない事態を出来させかねないがゆえに、絶対に許せない。だから、声を大にして言いたい。
「都立病院の独法化は絶対に反対です! なにもよりもまず、いのちが優先されるべきです!」
◇◆◇◆◇
4,市民の良識
実は、恥ずかしながら、私、昨年の春、街頭で声をあげている都立病院の職員さんたちからチラシをもらうまで、都立病院の独法化の話が出ていることに、まったく気づいていなかった。
声をあげて知らせてくれる人がいたからこそ、大事な問題に気づくことができた。
けれども、こんな重大な「改革」もまた、大阪都構想の住民投票のときに「大阪市廃止・特別区設置住民投票」という正式名称での報道がほぼなかったのと同じく、メディアではほとんど報じられない。
でも、大阪市民のみなさんは、そんな情報統制下のなかでも、おかしいと反対の意思を示された。この投票結果は、大阪市民のみなさんの高い見識が示されたものだったのだと思う。大阪都構想の本当の意味は、大阪府の自治権を大幅に奪う、ということにほかならなかったのだから。
メディアではほとんど真実が語られないなかで、市民のみなさんが独自に情報を集められ、熟考された結果、大阪都構想が否決されたというこの事実は、私にとって希望である。
あきらめずに声をあげ続ければ、都立病院の独立表製法人化を止められるかもしれないのだから。
だから、ちっぽけなブログだけど、私は「都立病院の独法化はおかしい!」と、声をあげ続けたい。