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1,あきれる国会閉幕
先週水曜日。通常国会が規定通りの日数の開会だけで閉幕した。
OECD諸国のなかでも、コロナによるGDPの落ち込み方は、ひどいほうだった。
一刻も早く経済的支援が必要な方たちは、たくさんいる。なのに、いざというとき国民生活を支えるためにあるはずの政府が、昨年の予備費がまだ30兆円も余っているから大丈夫と言い放ってたいした追加策も講じず、それを支持する与党は、この非常時に国会を閉じてしまった。
オリンピックが終わって雰囲気がいい頃合いを見計らって臨時国会が開かれ、選挙対策のためにようやく追加の経済対策が組まれるのではないか、といわれている。
国民の窮状を救うより、自己保身を最優先に動く権力者たちの姿・・・。一方で、たとえば、手厚い支援を実施してきたアメリカは、ワクチンの普及もあいまって、むしろ経済成長が進んでいる。
国民の苦境に対するこの目線の違いは、いったいなぜ起こるのだろう?
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2,予想されるオリンピック狂騒曲
いまでこそ、そうした動きに批判的な大手メディアであっても、おそらく、東京オリンピック開催期間中は、なんとか盛り上げようとするだろう。なぜなら、かれら自身が、れっきとしたスポンサーでもあるのだから・・・。
前にも書いたけれど、政府としては、とにかく東京オリンピックをやってしまって、「なんだかんだ言ってたけど、やっぱり感動したね」という雰囲気をつくって総選挙に持ち込みたいはずだから、メディアとは利害が一致している。
世間が「成功してよかった~」という雰囲気になれば、コロナ対応が杜撰だったことも、特定の企業が会場設営や人材派遣を独占的に受注し、巨額の中抜きをしていたのではという疑惑も、うやむやにされてしまうのだろう。
窪田順生さんの『DIAMOND Online』記事によると、実は、私たちが成功したと思い込まされている1964年の東京オリンピックもまた、いまと同じように、問題山積で、批判的な空気が充満していたそうなのだけれど、みんな、メディアによってコロッと意識が変えられてしまったのだそうだ。勉強になった。
https://diamond.jp/articles/-/274194
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3,そしてやってくるであろう、いつもどおりの表面的な報道
そして、オリンピック狂騒曲のすぐあとにやってくるであろう総選挙期間中は、大手メディアにとっては社会矛盾の真相に切り込まずに済んでホッとするための中立報道という名の印籠が盾にされ、いつもどおり、表面的な報道が垂れ流され続けるのだろう。
その結果、これまたいつもどおり、国民は、広島不正献金問題、森友・加計問題、桜疑惑、災害対応の遅さと被災地支援が後回しにされる問題、総務省の接待問題、オリンピックにまつわる不正資金問題、杜撰なコロナ対応、浮き彫りになった医療体制の問題などなど、ここ数年のあいだのひどいニュースのことも忘れるよう仕向けられる。そして、その背景に共通する構造の問題点や、社会科学上の課題に触れる機会もなく、また低い投票率のまま与党が圧勝するのだろう。そして、これまたなんとなく、これまでの身内びいきの利益誘導型政治が続き、国民はますます疲弊していくのだろう。
もはや、絶望するしかないのだろうか?
いや、そんなことはない。おかしいことはおかしいと、声を上げ続け、機会があるごとに、行動で示せるような人間であり続けたい。こどもたちの未来のためにも。
非常時の国会閉幕という権力者たちのむごいふるまいを前に、そう思いを新たにするのだった。