◆先送りしてきた疑問
昨日の記事(2020年3月26日)の冒頭で記した疑問をもっと具体的にいうと、こうなる。
〈人新世の開始時期にかんする説が、ここまで多様でこうも見解が違うと、映画に込められた気候変動についてのメッセージの解釈は、人新世の始まりを監督がどう捉えているか次第で、180度ちがいうるのではないか?〉
今日からは、いよいよ、一昨日、昨日と考察してきた人新世についての知見をふまえつつ、この疑問について考えてみたい。
◆映画のおさらい(ネタバレ注意!)
これまで何度か言及したけれども、『天気の子』で描かれていたストーリーの重要な柱のひとつが気候変動だった。観ていない方のため、映画の内容をここでちょっぴりおさらいしておこう。
映画のなかの首都圏では、ずっと雨が降り続けた。でも、雨天を晴天に変える能力を授けられた陽菜ちゃんが神様に祈った瞬間だけ、そんな首都圏の街中にも部分的に日が差した。帆高くんと陽菜ちゃんは、その能力で対価を得る仕事を開始。ウェブサイトを作ってお客を募りはじめる。
最初のうちは、順調に見えた。でも、そんな陽菜ちゃんが、神様に晴れてくださいと祈れば祈るほど、実は自分のいのちを削っている人柱だったと判明する。その運命をいったんは受け入れ、天高い雲の上に召されていった陽菜ちゃん。そのあいだだけ、真夏なのに雪が降るほどの異常気象に見舞われていた首都圏に、真夏が戻った。しかし、帆高くんが必死の思いで雲の上から陽菜ちゃんを救出したとたん、またものすごい豪雨が始まったのだった。その結果、海水面が上昇して東京下町の海抜ゼロ地帯は海に戻り、人びとは移住を余儀なくされた。
◆監督メッセージの仮説A:異常気象は人類活動に起因する!?
映画で描かれていたこれらの気候変動は、人類の産業化によってもたらされた温暖化を要因とする、というのが現在の通説である。この点に照らすと、新海監督は、アントロポセンという言葉で、私たち観客に、「地球の循環的な気候変動にすら人為的な影響を与えた近代化以降の人間の産業活動は、そのままでいいのかい?」という疑問を投げかけているのかもしれない。
もちろんこの見方は、私の推測にすぎないけど、映画を観た方なら誰もが抱く監督からのメッセージではないだろうか。話を進めやすくするため、ここではとりあえず、この、気候変動は人類活動に起因するという監督メッセージ予想を仮説Aとしておこう。
◆監督メッセージの仮説B:気候変動は人類活動が原因じゃない!?
ちなみに、仮説Aは、監督が、アントロポセンの開始時期を産業化の始まった近代に設定する説を支持されていればの話に限られる、ともいえる。
一方、もしも監督が、アントロポセンの始まりをもっと早いとする説を支持していたら、映画で描かれている気候変動は、地球の周期的な温暖化/寒冷化循環の範囲内での出来事だ、という設定だったとしてもおかしくない。なぜなら、人新世の始まったきっかけは、産業活動が原因だと監督が捉えていない可能性もあるからだ。そう考えると、監督は「現代の気候変動など、恐れずに足らず!」というメッセージを観客に投げかけているのかもしれない、という推測も成り立つ。
この、気候変動は人類活動が原因じゃないとする監督のメッセージの予想を、とりあえず仮説Bとしておこう。
ちょっと長くなりそうなので、映画を振り返りながら仮説A、仮説Bの根拠を探す考察は、明日からはじめよう。