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2001年、9月11日。
もう20年も前のことなので、何のあつまりだったかは忘れてしまったのだけれど、この日の夜は飲み会で、かなり酔っぱらって帰宅した。
部屋に入ってテレビをつけたら、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込む映像が流れていた。
〈見たことのない映画のシーンなんだろうな。〉
一瞬、そう思った。映画を途中からみるのが嫌な性分なので、すぐチャンネルを変えた。でも、また同じ映像が流されている。
〈もしかして、これは現実なのか?〉
胸騒ぎがして、どんどんチャンネルを変えてみた。どこのチャンネルでも、同じ映像が流れていた。
酔いは一気にさめ、テレビ画面に釘付けになりながら、〈21世紀は、たいへんな時代になってしまうかもしれない・・・〉そんな嫌な思いが頭をよぎって仕方なかった。
その後、テロの首謀者はアル・カイーダというイスラム主義過激派組織のオサマ・ビン・ラディン容疑者だとされた。
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1990年代の世界でも、もちろん、ルワンダでの大虐殺やコソボ紛争など、各地で悲しむべき紛争が起こっていたけれども、いっぽうで、冷戦が崩壊し、フランシス・フクヤマに歴史は終わったと言わしめるほどの融和ムードが、たしかに漂ってもいた。
1980年代末。ソ連にゴルバチョフ書記長が現れ、東西冷戦の融和が一気に進んでからは、東欧諸国の独裁政権も、自由を求める人びとの声に押され、どんどん崩壊していった。
1989年のベルリンの壁崩壊のテレビ中継は、いまも脳裏に焼き付いている。
冷戦が終わって、世界は平和に向かっていくんだと、私もたしかに感じていた。
そんな空気感を象徴するような思い出もある。
1991年、中学1年生のとき、住んでいた町の派遣事業に抽選で当たり、アメリカ西海岸のカリフォルニア州のある町へホームステイに行った。竹下登首相が「ふるさと創生事業」として各自治体に配布した1億円の利子が、その派遣事業に使われているという話だった。
成田空港は、出国手続きがかなり厳重だったのだけれども、サンフランシスコ空港は「えっ?」と拍子抜けするくらい、一度のゲート通過で、物々しい雰囲気もなく入国審査が終了した。
今から思うとありえないのだけれども、たぶん、冷戦が終わったあとの融和ムードが至るところで流れていたんだろうな、とあとから思った。
9・11アメリカ同時多発テロは、そんな世界的なムードを、一瞬でぶち壊した。
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その後、アメリカと同盟国は、テロへの報復として、同時多発テロが起こってまだ1か月も経っていない10月7日にはもう、アフガニスタンへの攻撃を開始した。
そして1か月余りで首都カブールは制圧され、タリバン政権は崩壊。
それからほぼ20年間、アメリカは占領統治を続けてきた。
でも、軍事力だけでは、真の平和がもたらされることはなかった。
報復の連鎖がいたるところで続き、20年経ってもイスラム主義過激派のタリバンの力が衰えることなく、また、ISというあらたな脅威まで現れてしまった。
そして20年後のいま、アメリカ軍の撤退とともに、タリバンが再び政権を奪還し、20年前に時が戻ろうとしている。
9月の日・木曜日の定期投稿(といっても8月はほとんど配信できておらず申し訳ございません!)では、9・11からこの20年の間に考えてきたことを記していきたい。