◆象徴的な天井絵のシーン
はたして、監督のメッセージは、仮説A、仮説B、どちらなのだろう?
この点について考えるうえで象徴的なのが、帆高くんが取材先の神社で見た、積乱雲とそのなかであばれる龍、そして人柱が描かれている天井絵のシーンである。なぜなら、監督が、近代化の前と後、どちらを人新世のはじまりとする説を採用し、映画を製作されたのかによって、このシーンが、監督のメッセージがどちらなのか、ヒントを与えてくれると思ったからである。
そこで今日は、天井絵のシーンから監督のメッセージに肉薄すべく、映画の内容を振り返りつつ考えてみたい。
◆帆高くんが神社の天井絵に出会った理由(ネタバレ注意!)
映画を観ていない方のため、帆高くんが天井絵に出会うまでのストーリーを、ここで紹介しておこう。
伊豆諸島の神津島の自宅を飛び出し、フェリーで東京を目指していた帆高くんは、突然の天候急変で船のデッキから振り落とされそうになったところを、偶然、重要な登場人物のひとりである須賀さんに助けてもらう。東京に到着してすぐ、帆高くんはいったん須賀さんと別れるのだけれど、いざ食べるものに困り、ネットカフェに泊まるお金も無くなってきて、別れ際にもらった名刺を頼りに須賀さん宅を訪問する。
このとき、須賀さんがオカルト雑誌に寄稿しているフリージャーナリストだと知った帆高くんは、家事手伝い兼ジャーナリスト見習いになることを決意する。
なんとか自分の原稿を仕上げてみたい帆高くんは、須賀さんのお手伝いをしていた姪っ子の夏美さんと一緒に、なんとか面白いネタはないかと方ぼうに取材をかけていた。
そのなかで、件(くだん)の天井絵がある神社に辿り着いた、というわけだ。
◆天井絵と陽菜ちゃんの受難とをどう捉えるかで、監督のメッセージが変わる?
冒頭で記した通り、その天井絵には、天高く舞う白い龍が積乱雲のなかにいて、人柱らしい影も描かれていた。この描写はまさに、そのあと、もう一人の主人公・陽菜ちゃんを襲う一連の出来事を表現すると同時に、陽菜ちゃんが、実は異常気象を解消する人柱なんだという事実を暗示するシーンになっている。
ちなみに、神社の天井絵は、神主さんによると(私の記憶が正しければ)鎌倉期の出来事なのだという。つまり、そのあと起こる陽菜ちゃんの受難と天井絵とは、同じ事象ではあっても800年以上の差があることになる。しかも、その800年余の間には、近代が、すなわち、人新世の開始時期についての第5、第6説が根拠とする産業革命ごろの時代(1700年代)が挟まっている。
この、産業革命により人間の活動を劇的に変えたという意味で特殊だといえる近代は、はたして、鎌倉期の異常気象と、陽菜ちゃんの直面する異常気象とを隔てているのか否か? 私は、この問いは『天気の子』での監督のメッセージを紐解くうえで、かなり重要だと思っている。なぜなら、二つの事象が近代により断絶されているとみる場合には、監督のメッセージはA説で、連続しているとみる場合には、監督のメッセージはB説である、という可能性が濃厚のような気がするからだ。
◆監督のメッセージはB説?
なぜ、そう思うのか?
もし、新海監督が、近代化の影響以前に人新世は始まったとする説(3月25日記事の第1・第2の説)を採用されていると仮定してみよう。すると、監督は、神社の天井絵の出来事よりずっと前に、人新世は始まったと考えていることになる。
そうだとすると、鎌倉時代の異常気象も、近代化も、陽菜ちゃんの受難も、ともに、人新世が始まってだいぶ経ってから生じた、一連の事象にすぎない、と監督は見ているのではないか。だって、250万~20万年も続いている人新世のなかでは、現代と鎌倉時代の800年余りの時間差など、たいしたものじゃない、ともいえるのだから・・・という予想も可能になる。
こういうふうに考えてみると、天井絵と陽菜ちゃんの受難とは、近代によって隔てられた出来事としてではなく、連続した、同一の意味を持つ異常気象として監督に描かれている可能性が、がぜん高まってくるのだ。
もしもそうだとすると、この天井絵は、異常気象は人間の活動が原因じゃないと監督が伝えたいがための重要なシーンだ、という見方も、成り立つように思うのである。
【お詫び】(2020年7月14日)
この「『天気の子』鑑賞記5」には、重大な記憶違いが含まれております。2020年6月22日の記事「『天気の子』鑑賞記16」でも書いたのですが、予約していた『天気の子』のDVDが届き、家族で半年以上ぶりに鑑賞しましたところ、神社の天井絵を見に行ったのは、帆高くんと夏美さんではなく、須賀さんと夏美さんだということに気づいたのです。自分の記憶力のなさを恥じております。拙ブログ記事を読んでくださっている皆様、そして新海誠監督、映画製作に関係する皆様に、心よりお詫び申し上げます。
本来ならすぐ修正すべきなのですが、部分的な修正にとどまらず、全面改定が必要なため、自らへの反省の意味も込めて、当面の間このままとさせていただきます。
どうかご容赦ください。