~~~~~
1、地震
昨日のブログで書いたように、形式的な部分だけの「公平性」にこだわりすぎると、実質的な部分ではかえって公平性が失われてしまう結果になりかねない。
でも、こんな重大なことが、ボランティア活動の現場でも顧慮されない現実に、いまより20キロ以上体重の軽かった若かりし頃の私は遭遇した。
新潟中越地震が起こった際、新潟県川口町での災害ボランティアに参加したときの話だ。
川口町の震度7をはじめとして、各地でおおきな揺れが発生し、甚大な被害を出した新潟中越地震は、2004年10月23日に発生した。災害ボランティアに参加したのは11月1日からだったから、地震発生から1週間ちょっとしか経っていなかった。
それでも、長岡駅周辺は落ち着きを取り戻していて、長靴に登山リュックの私は、むしろどこか浮いていた。ただし、そのあとバスで到着した川口町では、住宅が倒壊したり半壊したり、水道などのインフラが止まったりしていて、かたづけも追いつかず、まだまだたいへんな状況だった。
◇◆◇◆◇
2、不満
そんな地震直後の混乱から、川口町の人たちへ物資が行き届いているとは言い難い状況にあった。
それにもかかわらず、川口町災害ボランティアセンター本部は、なんと、被災された住民自身が、18時までにセンターの物資班まで希望の品をとりにこないかぎり、支援物資を渡さないというルールをつくっていたのだ!
その理由は、ここでも「公平性」の担保だった。
ボランティアに従事しはじめてから1週間ほど経った頃。私は、川口小学校体育館に避難されているある地区の地区長さんに、お願いごとをされた。同じ作業服を2週間来ているから、代わりになるようなジャージを支援物資からもらってきてほしい。そう依頼されたのである。
でも、物資班にもらいに行っても、件のルールを盾に門前払いされた。
そこで次の日、地区長さんに謝ったのだけれど、当然ながらお怒りだった。昼間は、休みなく、地区の復興のために尽力されているのだから、ボランティアセンターに行く余裕などあるわけがない。
◇◆◇◆◇
3、矛盾
一方、物資をボランティアセンターまでとりにくる余裕がある住民の方には、物資がいきわたる。
そういう状況なのだから、取りに来る時間的・物理的な余裕のない方には、ボランティアが届けたとしても、いったい何が悪いというのだろうか?
住民が取りに来る、かつ、ボランティアが渡せる、どちらも並行して進めれば、よりいっそう被災された方がたに必要な物資がいきわたるはずである。
なのに、ボランティアセンターは、住民のみなさんといちばん間近で接している現場のボランティアが、物資を届けるのを禁止してしまったのだ。それゆえに、「公平性」を担保するためにつくったはずのルールのせいで、本当に必要なところへ物資が届かない、という矛盾が生じた。
けれども、本部のボランティアには、いくら説得してもなかなかその実態が分かってもらえない。
だから、ボランティアセンターでは、いたるところで口論が発生していた。
私も、地区長さんのお怒りを受けた次の日、いざとなれば物資班の制止を振り切ってでもジャージを確保しようと思っていたのだけれど、物わかりのいい本部の方がいて、なんとか上下のジャージを確保、地区長さんに渡すことができた。
◇◆◇◆◇
4、服用
川口町に入った初日は、まだどこが避難所になっているかわからないという状況だった。
そこで私は、地区ごとに避難所になっている場所の確認と、ニーズの調査をするボランティアに手を挙げ、自家用車でボランティアに来られたお二人と一緒に、指定された地域を回ることになった。
ある地区では、住宅のガレージが避難所になっていた。
でも、なんと、そこでは、いのちにとって一番大事な飲用水が切れてしまっていたのである。
そして、ひとりで留守番をしていたおばあさんが、薬も飲めずに困っていた。
そんな緊急性がある物資を届けたい場合であっても、ボランティアセンターのルールに従うと、本部に報告書を出し、本部のボランティアが必要かどうかを吟味するので、下手をすると次の日の配達になってしまう。
私たちは、本部ボランティアに何と言われようと、絶対に水を確保してすぐ戻ってこようと近い、物資班に向かった。でも、混乱していたおかげでなんなく水を確保することができ、避難所へ届けることができた。おばあさんは、無事、薬を飲むことができた(※)。
◇◆◇◆◇
5、期待
このように、新潟中越地震の災害ボランティア活動に参加するなかで、震災からまだ1週間とちょっとしか経っていないにもかかわらず、被災者のためにならないルールをつくって、現場ボランティアの意見を聞かず、嬉々として本部の活動に携わっている人たちと、何度もぶつかった。というより、ぶつからざるを得なかった。
でも、そんな、正義論の今日の到達点からみて、どう考えてもおかしい「公平性」を盾に、自分たちの権力を振りかざしたい人たちのせいで、現場は混乱を極めた。
だから、緊急事態のときほど、現場の裁量に任せ、上部組織は側面支援に徹するべきなのだ。つまり、「補完性原則」を徹底すべきなのだ。このときの経験から、心底そう思う。
それは、今回のコロナ禍でも同じである。必要なのは、緊急事態条項の創設などではけっしてない。
「公平性」にとらわれすぎて、結局、現場の動きを止めてしまっては、尊いいのちが失われてしまいかねない。喫緊に必要とされる対応を阻害してしまいかねない(この点でTBSのドラマ『日本沈没』は本当に面白かった)。
政府の責任ある立場の方たちには、どうかこの点をわかってほしい。そう願わずにはいられない。
~~~~~
【注】
(※)新潟中越地震でのボランティア活動の詳細については、拙著『新潟震災ボランティア日記――被災地の「自立」論?』(新風舎、2006年刊)にまとめていますので、そちらをご参照ください。しかし、こちらの本も手元には何冊かあるのですが、絶版のため市場では手に入りません(中古品ならあるかもしれません)。ごめんなさい。