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本日掲載の過去の日記は、ブログの【災害から考える10】と重なるところがあります。
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1、災害レスキュー隊
では、どうすればよいのだろうか? この国は、財政がひっ迫している。それなのに少子高齢化が進み、規制緩和で個人の所得は年々下がり、貿易収支も悪化している。資源もないし、労働力も先細りである。そんな国が軍事大国を目指しひた走ったとして、明るい未来が描けるだろうか?
それよりもむしろ、災害が多い国だからこそ、早稲田大学の水島朝穂教授が提起してこられたように、自衛隊のなかで希望される型を中心に、一部を災害レスキュー隊にコンバートしていってはどうだろう?
だが、災害レスキュー隊ができたとしても、中央集権的な組織のままでは意味がない。
大雪による災害、多雨による災害、地形による災害、河川による災害、災害にはそれぞれ地域の気候と風土が関係する。だから、それに見合った対応ができるよう、できるだけ分権化し自立した組織にして、各都道府県単位で配置していく。そのうえで、地方自治体や研究機関と、日常的にさまざまな準備を行っておく。そうすれば、各レスキュー隊は、それぞれの地域で災害が発生したとき、フレキシブルに対応できるだろう。ときの政府が災害発生から4日後に災害対策本部を立ち上げるような認識の甘さをもっていようと、各組織が独立して対応するから、迅速な対応が可能になる。一部隊では対応困難な災害が生じた場合は、他地域から支援に回ることも可能となる。
だが、こうした組織ができたとしても、災害に対応するだけの道具と装備を兼ね備えていなければ意味がない。18日付の『東京新聞』朝刊には、自衛隊のみなさんが人海戦術で雪かきをしている写真が掲載されていた。今回対策が後手に回った理由のひとつとして、大雪にたいする設備の不足があった点は否めない。これでは、動員された自衛隊員のみなさんがあまりにもかわいそうだ。
20年に一度の大雪に、何百台もの除雪車がはたして必要なのかという声があるかもしれない。しかし、そういうなら、いつ起こるかもわからない戦争のために、何百基もの戦闘機、何隻もの戦艦、何万発もの爆弾を常備し、一度も実戦で使用することなく、古くなったら買いかえるという行為も、その正当性が問われることになってしまう。
ここまで何度も強調してきたことだけれど、災害は必ず起こる。だから、努力によって回避できるはずの戦争への対策が何よりも優先され、毎年絶対起こる災害への備えは必要ないという風潮が、私には理解できない。また、お金をかければ救われるいのちがあるのに、自然災害に備える新たな装備の開発や事前の準備に予算が割かれない現状が、私には理解できない。昨日書いたように、むしろ十分な対策を整えたうえで災害に対峙すべきではないだろうか。
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2、海外にセールスするなら人助けの道具を
ここで強調したいのは、自然対策への十分すぎるほどの設備を整えても、軍備を整えるよりはるかに安上がりのはずだという点である。この点は、企業と防衛事務次官(守屋事務次官)との癒着事件などでその存在が明らかになった、日本版の軍産複合体にとっては、収益が減るわけだから受け入れがたい話かもしれない。自然災害設備の更新よりも、単価の高い防衛設備の更新のほうが、儲かるはずだからである。
でも、少し立ち止まって考えてみてほしい。どんな企業であっても、「人殺しの道具」を製造し儲けるという実態は、公には明かしたくない事実のはずである。そうであるなら、いっそのこと、災害レスキュー隊のために「人助けの道具」を製造・提供するノウハウを蓄積したほうが、企業の社会的責任の観点からみても、より良い選択になるとはいえないだろうか?
たとえば東京消防庁は、雲仙普賢岳の災害(1991年)以降導入した800度の熱に耐える救助車をもっている。もっと幅広い災害分野を俯瞰しつつ設備や道具を開発すれば、こうした技術は数多く創造されていくにちがいない。そうして開発された技術のなかから、各地域の災害にあったものを、災害レスキュー隊の装備として順次導入してゆけるはずである。
こうした技術の蓄積は、誰にとっても、誇りをもって、堂々と外部に公表できるものになると思う。また、そのノウハウは、海外からも熱い関心を呼び、海外セールスにも貢献できると思う。
武器輸出三原則を撤廃し、あまり日に当たらないようにと世界に武器を売るよりも、人助けの装備品を開発し、能力も売り上げも世界一となったほうが、国の名誉的にも経済的にも、よっぽどいいのではないだろうか。日本企業にとっては、そうした方向に舵を切ったほうが、測り知れないほどの世界貢献をし、ゆるぎない信頼を勝ち取る可能性を秘めているように思うのだ。
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3、人助けの信義を世界へ
災害レスキュー隊が結成されたと仮定して、その活動を世界中に展開できれば、隊員の誇りとモチベーションの向上にもつながるだろう。
2004年、スマトラ沖地震の津波災害救援活動に派遣された自衛隊が、インドネシア政府から入国を拒否されたという話は記憶に新しい。国際的には、軍隊はふつう災害救助隊とはみなされない。だから、この一件は、インドネシア政府が非難されるべき話ではない。
それゆえ、このような形で外国に敬遠されがちな軍隊の一員として災害救援や戦後処理に派遣されるよりも、純粋に人助けの組織の一員として海外での大規模災害に派遣されることになったほうが、隊員の方がたにとっても誇りになるのではないかと思う。また、日本が本当の意味で諸外国から尊敬される足場を築く活動に参加しているのだという喜びにもつながるように思う。
たしかに世界では、紛争が続いている。しかしそれは、大国の小国にたいする、権力の一般市民に対する、そして資源をめぐる小国同士の紛争に収斂しつつある。こうした破壊行為を止める方法は、敵対する勢力相互の信頼構築を目指すべく、世界の先頭に立って理を唱える姿勢であろう。地球が温暖化し、資源が枯渇しつつある21世紀のいま、戦争などしている場合ではなくなっているのだから。
日本は、そうした役割を担える可能性をもちながら、EU、東南アジア、南米、南アフリカ諸国の後塵を拝している。平和憲法をもつ日本だからこそ、真っ先に、市民の平和的生存権を自然災害から守る制度を構築し、それを世界に広げ、いのちを守るという次元からレスキュー活動を展開して世界の信頼を勝ち取り、いがみ合いを調停するイニシアティブをとれるのではないか。
そんな未来をこれから創っていってもいいのではないか、と私は思う。
自国で育てた医師を世界中に派遣するなどして世界秩序の安定に貢献しているキューバは、自国の軍産複合体のために戦争を繰り返し、キューバを敵視し経済封鎖しているアメリカよりも、第三世界のなかで尊敬を集めている。日本にだって、そうした行為ができないはずがない。アジア諸国から不信を買っている側面は多々あるけれども、平和国家として築いてきた信頼はまだ保たれ、技術の力だって持っているのだから。
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《参考文献》
水島朝穂(1997)『武力なき平和――日本国憲法の構想力』岩波書店
吉田太郎(2009)『「没落先進国」キューバを日本が手本にしたいわけ』築地書館