◆住んでる町の中心街から姿を消していくおもちゃ屋さん
年度末の今日を限りに、世界中に展開している某大手玩具チェーンが、私の住んでいる町から撤退した。明日以降、たいがいの玩具なら手に入ったおもちゃ専門店が、町の中心街から姿を消す。
2年半ほど前までは、もう1軒、町の中心街に、昔ながらのおもちゃ屋さんがあった。
長男、二男が、小さい時分から相当お世話になった、「みのる屋」さん。
ときどき、家族のスナップ写真も撮ってくださった。長男が七五三のときの写真にも、お店の前で撮って頂いたショットがある。
みのる屋さんが、まだ今でもあったらなぁ~。
中心街から玩具店が消える日の夕暮れに、そう思わずにはいられなかった。
◆町のおもちゃ屋さんならではの陳列
某大手玩具チェーン店のように、きらびやかな広い店内で、商品が大量に置かれている、というわけではない。むしろその逆で、肩をすくめなければ他のお客さんとすれ違えないくらいの通路で、どこに何が置かれているのかすぐには分からないような陳列だった。
でも、そんな店内だからこそ、某大手玩具チェーン店ではめったに目にすることのない小型の玩具を含め、いろんなおもちゃが置かれていた。
コマ、けん玉、ビー玉、おはじきといった日本の伝統的なおもちゃ。
小さいとき夢中になった、ミニ四駆やプラモデル。
縁日で売っていそうな、小さい子も喜ぶおもちゃ全般。
私の大好きなスターウォーズのおもちゃ。
子どもたちの間で人気のカードゲーム。
他にも、たとえばサイコロのバラ売りみたいな、「そうそう、これ欲しかったんだよね!」とついつい手を伸ばして買ってしまう玩具が、ところせましと並んでいた。いわば、心の奥底で渇望していたおもちゃに出会い、痒い所に手が届くような気持を味わえる、町のおもちゃ屋さんならではのものが、たくさん置かれていた。
◆夢を与えてくれたみのる屋さん
私が好きでよく買っていたのは、独楽だった。コマはコマでも、回すと音楽を奏でるコマ、光り輝くコマ、順番に回しながらのっけていくコマなど、いろいろあった。そんな多様性がたまらなくて、一時期、コマ集めにかなりハマっていた。商品の意味を紐解く授業で、コマを事例にし、学生たちの前で回したりもした。
でも、みのる屋さんでは定期的に商品が並びかえられていたから、お目当てのコマを探しに行っても、前と同じ場所にあるとは限らない。すると、必然的に店内をウロウロしないといけなくなる。
そうしておもちゃを眺めながら、ときに、「こんなおもちゃも売ってたんだ!」と興奮し、自分のものでもないのに、こどもたちに「いいでしょ~!」と言って見せびらかし、大発見に酔いしれている自分がいた。けれど、掘り出し物を発見した場合でも、ちょっと値が張るおもちゃのときは、こどもたちを呼ばなかった。「ほしい!」とせがまれると困るから(笑)
そんな親のふところ事情はさておき、みのる屋さんは、私のような大人でも、小さい頃に味わったトキメキを思い出させてくれる、夢も与えてくれる、そんな場所だった。
◆そうだ、おもちゃ屋さんに行こう!
整然と商品が並べられている某大手玩具チェーン店では、決して味わうことのできない興奮。
それが、いまでも忘れられない。
そんな、探検のようなワクワク気分を味わえたみのる屋さんは、私のなかでは、おもちゃ屋さんの中のおもちゃ屋さん、ザ・街中のおもちゃ屋さんだった。
「みのる屋さん行く?」
「行く行く!」
みのる屋さんは、住んでいる町の街中に、こどもたちと遊びに行く目的そのものだった。