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今日は、2011年3月11日に東日本大震災が起こってから、ちょうど11年目になります。被災されたみなさまのお見舞いを申し上げますとともに、お亡くなりになられたみなさまのご冥福をお祈り申し上げます。また、いまだ行方不明のみなさまが一刻も早く発見されるよう願ってやみません。
テレビ・新聞・ネットでは、ウクライナに侵攻したロシア軍の、市民にたいするひどい仕打ちが連日報道されています。権力者が起こす戦争により、一般市民が、しかも社会的な弱者である高齢者、こども、障がい者、女性がいちばんの犠牲になってしまう悲しい歴史が、繰り返されています。
人類の英知が詰まった国連憲章違反のこの状態は、みんなで知恵を絞って、何が何でも止めなければならない、そう強く思います。
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権力者が起こす事態によって、一般市民が虐げられる歴史は、戦争だけではありません。たとえば、日本でたくさん起こってきた公害もそのひとつです。
これまで何度かこのブログでも言及したとおり、水俣病は、2004年の最高裁判決で、国と熊本県の、すなわち行政権力の責任が認められました。
それとくらべて、2011年の3月11日の東日本大震災がきっかけで起こった原発公害は、カネミ油症事件などと同じように、いまだ責任の所在が確定していません。しかし、国が率先して原子力政策を推進し、いざ問題が起こったときに、被害者に十分な手当てがなされない法体系にしてきたのは、まぎれもない事実です。
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それゆえに、原発公害による被害で苦しんでいる人たちが、いまだにたくさんいらっしゃいます。
象徴的なのは、福島第一原発事故後に放射性ヨウ素を浴びた子どもたちのなかで甲状腺がんの患者が増えているのは、必要以上の検査を続けた結果だから、検査を縮小すべきだという過剰診断論です。そのように主張する大人たちの影で、病気に苦しむ被害者が置き去りにされようとしています。
でも、チェルノブイリ事故を経て、放射性ヨウ素による甲状腺がんの増加は、科学的な知見として世界で共有されています。その根拠は、事故時に放射性物質を浴びたこどもたちと、その後に生まれて事故直後の放射性物質を浴びていないこどもたちとの疫学的な比較調査です。ところが、日本ではこの基本的な調査すらなされていないのに、過剰診断論がまかり通っているのです・・・。
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こうしたとても大事なことが、日本ではなかなか報道されません。
ウクライナの人たちのいのちを守りたい、そういう声がおおきな波になっています。繰り返しになりますが、それは、とても大事な動きだと思います。
それと同時に思うのです。同じように、自分たちの暮らす社会でも、行政権力の判断の結果、健康や生活が脅かされている人たちがいる、それなのに当の行政権力が被害を過小評価しようとするために、これからの希望すら奪われようとしている人がたくさんいる、という事実が、もっと注目されてほしい、と。
原発公害で苦しんでいるのは、健康被害に遭っている方たちだけではありません。家賃補助のうちきりや公営住宅の不足で生活が苦しい自主避難者(※1)、そもそも被災者として数に数えられていないために、保障から抜け落ちてしまっている方たちなど、たくさんいらっしゃいます(※2)。
マスメディアを動かしている方がたには、ウクライナの事情とあわせて、ぜひ、利権といった大人の事情をいったん取っ払ったうえで、そうした人たちの苦境にこそ、もっと光を当ててほしい・・・そう願わずにはいられません。
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【推奨したい本】
(※1)尾松 亮(2018)『チェルノブイリという経験――フクシマに何を問うのか』岩波書店
(※2)青木美希(2021)『いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」』朝日新聞出版