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1、級友のこと
「イチケイのカラス」からはだいぶわき道にそれてしまうけれど、続けて髭に関する思い出を記したい。
昨日も書いたように、私の通っていたG高校では、髭を伸ばしてはいけないというルールがあった。でも、そのルールがどこかで明文化されているのを見たことはなかったから、もしかしたら暗黙のルールにすぎなかったのかもしれない。
それはさておき、クラスメイトのSくんは、髭を蓄えるのをポリシーにしていた。
だからといって、彼がおかしい人だとか、ひどい人だとか、そういうことは全くなかった。むしろ、彼はみんなの人気者だったし、わけへだてなく級友と接してくれる人だ。
なのにSくんは、彼の髭を毛嫌いするベテランの英語の先生から、授業中「髭を剃れ!」とみんなの前でつるし上げられることが再々あった。もちろん、なぜ髭を剃らないといけないのか、納得のいく理由がその先生の口から発せられたことはない。
Sくんも、さすがにつるし上げがひどくなってくると髭を剃っていたけれど、ほとぼりが冷める頃には徐々にまた伸ばし始める抵抗を見せていた。
私は、そんなSくんに、陰ながら拍手を送っていた。
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2、先生のこと
そんなやり取りが繰り広げられているなかで、ある注目の出来事が起こった。若い日本史の先生が、髭を生やし始めたのだ。
いつもSくんの髭のことを授業中につるし上げていた英語の先生が、その日本史の先生がなぜ髭を伸ばしているかについて、苦々しく理由を語っていたことがある。それによると、日本史の先生は肌が剃刀に負けてしまうらしく、専用のものでないと髭を剃れないらしい。けれども、肌に優しい剃刀を買いに行く暇がない。だから、いっとき伸ばさざるを得ないのだ、と。
そう説明したあと、英語の先生は苦虫を噛み潰したような顔で「ほんとうはすぐにでも剃ってほしいんだけどね」と言ってのけた。英語の先生が理由を知っていたのは、おそらく、「生徒の模範にならないといけないのになんで髭を生やし始めたんだ!」とか何とか言って、若い先生ににじり寄って反論されたからだったのだろう。
そのときは、内心〈そんなの日本史の先生の自由じゃないか!〉と思うだけだったのだけれども、もしかしたら、日本史の先生は、Sくんを側面から支援するために、いかに一部の先生たちが理不尽な要求を生徒にしているかわからせるため、髭を伸ばし始めたのかもしれない、と今では何となく感じている。
その真偽のほどは、今では確かめようがない。でも、いずれにせよ、昨日紹介した判例に基づけば、英語の先生が日本史の先生に行った剃髭の要求は不当なものだし、生徒の前で日本史の先生の文句を言ったのは、今でいえばハラスメントだろう、とすら思う。
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3、同僚の先生のこと
前任校の弘前大学では、冬になると、スキーの好きな先生からたびたび「一緒に行こうよ」と誘われていた。でも、私は鹿児島県出身で、一度も滑ったことがない。しかも運動音痴ときている。それゆえ躊躇しているうちに、現任校に異動してしまった。
それはさておき、「私も50歳を過ぎてから始めたんだけど、本当に気持ちいいよ!」といつも熱心にスキーに誘ってくださっていたU先生は、顎から15~20センチはあろうかという立派なひげを蓄えられていた。そんなU先生は、町を歩いていて、お巡りさんから職務質問を受けたことが何度もあるんだと教えてくれた。
「この見た目のせいで、大学の教員だと言っても全然信じてくれないんだよね。」
そう言って笑うU先生は、どこかちょっぴり寂しそうだった。
これはひどい仕打ちである。街の中では髭を蓄えた男性などほとんど見かけないという理由だけで、お巡りさんはおそらくU先生に職質をかけたのだろう。でも、これは、人を見た目だけで判断した、マイノリティに対する差別でしかないのではないか。話を聴いたとき、内心そう憤っていた。
そもそも、本当に怪しい人たちが、怪しさを醸し出して街をウロチョロしているはずがない。むしろ、漫画『スパイファミリー』のロイド・フォージャーさんやヨロさんが示してくれているように、怪しい人たちこそ「ふつう」に見えるよう気を使っているはずである。
もう、他者に対して、髭を生やしているからけしからんとか怪しいとか、そういうふうに見た目で判断するのはやめませんか? そして、容姿の多様性を認めあいませんか?
そんな社会のほうが、他者に対してあたたかく、豊かな社会になっていくはずだから。