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1、住宅解体工事が始まった!?
2020年10月17日、調布市の東京外郭環状道路(外環道)の地下トンネル工事現場で陥没事故が起こったのは記憶に新しい。その現場で、空洞を埋める工事を始めるため、事業者側が約40軒の住宅解体工事に着手したと朝日新聞が報じた。
【記事】「調布陥没事故、住宅解体工事始まる 現場の約40軒、外環道掘削で」(『朝日新聞』デジタル、2023年1月17日、狩野浩平記者)
https://www.asahi.com/articles/ASR1K4W1BR1KOXIE00J.html
こうした動きを受けて、「外環被害住民連絡会・調布」は、報道から1週間後の本日10時から、急きょ記者会見を開くそうである。家族が発熱したため、駆け付けられなくて残念だけれども、心から応援したい。
【「外環被害住民連絡会・調布」のホームページ】
https://sites.google.com/view/gaikanhigai/home
該当する地域には、まだ日常の生活を営んでいる方たちがいる。問題を起こした事業者が回復工事をする法的根拠も曖昧である。にもかかわらず、工事が強行されようとしている。
法治国家が瓦解し始めている時代の、そのひとつの伏流に地域のみなさんが翻弄されているようにみえて、強い憤りを覚える。
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2、法の前提の大崩壊
なぜ、調布市での陥没事故が、法治国家の瓦解状況を映し出しているようにみえるのか。
それには、いくつかの理由がある。最大の理由は、そもそも外環道工事の法律上の大前提が崩れているのに、その問題が議論されることなく、被害が覆い隠されようとしている点だ。
外環道やリニア新幹線の地下トンネル工事は「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法(大深度地下法)」を根拠として進められてきた。この法律のもとでは、公共目的の事業の場合、地下40メートル以深であれば、民法上の地権者に許可をとることなく工事を進められる。
しかし、実際には、想定され得ないはずの陥没事故が起こってしまった。事業者もトンネル工事の影響だと認めた。だから、そもそも、40メートル以深の大深度地下であれば、地上に影響はないという法律の前提が崩壊している。
しかも、この事業の主体には、工事を進める事業者やネクスコ東日本といった民間企業だけではなく、国土交通省も入っている。つまり、法律を遵守し、その執行を監督する官庁自体が事業者の一角を占めている。にもかかわらず、法律に瑕疵ができたのに、その齟齬を、矛盾を解消しようとせず、事業者として問題に蓋をしようとしているように思えてならない。
これを法治の瓦解と言わずして、なんと表現すればいいのだろう?
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3、科学的根拠のなさ
ふたつめの理由は、大深度地下法がそもそも科学的根拠に基づかない法律だった、という点である。
地下40メートル以深なら大丈夫という前提には、そもそも科学的根拠はない。法案が審議された国会の場でも、きちんとした説明はなされていない。当然と言えば当然だ。地下の状況は、その地盤が辿ってきた歴史によって違うのであり、地域ごとに多様な様相を呈しているのだから。
だからこそ、法の前提が崩壊するのは時間の問題だった、といえるかもしれない。
それでも、そんな法はおかしい、もっと慎重に事業を進めたほうがいい、という法治国家としての矜持を取り戻すチャンスはあった。【公共事業と生活2】で紹介した通り、地域の方がたは、科学的な根拠も踏まえて、これまでの陥没事故と同じような被害が生じかねない、住宅街でそうなったら取り返しのつかないことになると、再三にわたり国交省に申し入れていたからだ。
また、住民のみなさんは、ボーリング検査は不十分なのではないか、そのまま工事をはじめたら大変なことになるのではないか、という点も指摘していた。
こうした指摘の内容をきちんと吟味していれば、引き返せるチャンスはあったはずだ。でも、国交省はまったく耳を貸さなかった。「国策」の遂行を優先し、より科学的な見地から安全性を求める作業をおざなりにした。
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4、無謀な戦争との共通点
エビデンスに基づかない国策という面で思い出されるのが、アジア太平洋戦争をめぐる歴史である。
無謀な戦争を始める前、各種データを検討した結果としての報告は「日本必敗」と分析していた。その分析に耳を傾けていれば、無謀な戦争で2,000万人以上もの人びとが犠牲になるような悲惨な結末もありえなかった。
しかし、お偉方は、そうした報告は握りつぶして国策を遂行し、大きな犠牲をうみだした。
【関連記事】窪田順生「「日本は負けた」系ニュースが急増しても事実を認めない人々の“負けパターン”」『ダイアモンドオンライン』2021年12月16日
https://diamond.jp/articles/-/290778
今回の陥没事故も、辿っている経過が似ている。行政権力が、科学的根拠に基づいた地域住民の申し立てを無視し、地盤の検査も杜撰なまま工事を開始した結果、声を上げた住民の危惧していた通りの事態を招き、コミュニティを、日々の暮らしを崩壊に追い込んだ。しかしながら、これまた戦争の歴史と同じく、遂行した行政主体がたいして責任を取るでもなく、それどころか被害をなかったことにしようとしている。
こうしてみると、かつての戦争と同じことが繰り返されようとしているのがわかる。そこに共通しているのは、法治の崩壊と、より確からしい科学的な根拠に目をつむったまま国策を優先し最悪の結末を招いた行政権力が、それでもたいして責任を取らないという一連のプロセスだ。
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5、国策遂行上の責任回避プロセス
戦争、公害、原発災害、リニア新幹線の残土問題、外環道の陥没事故・・・こういった問題すべてに共通するのは、行政権力が、問題点を徹底して吟味することなく、科学を都合よく利用して始めた国策の結果、住民に、国民に、被害が及んでしまうという事態である。しかも、そうした事態を招いた当の行政権力は、極力責任を回避しようとする。
このようなプロセスを、仮に〈国策遂行上の責任回避プロセス〉とでも名付けておこう。
調布市の外環道工事現場の陥没事故は、実はこうした普遍的な問題のありかを提起している。
普遍的だからこそ、こうした〈国策遂行上の責任回避プロセス〉が及びうるこの国の土地ならどこでも、同様の事態が生じうる。その被害は誰にでも降りかかりうる。でも、調布市の被害住民の方がたに対する、冷めた視線があるのも事実だ。
けれども、問題から目をそらし続け、戦後、同じようなプロセスで繰り返されてきた無責任の論理の解明を、主権者が主体となって行わない限り、この国ではまた、同じような被害が生まれるだろう。
自分が、自分のこどもや孫が未来の被害者になってからでは遅い。だからこそ、調布で声を上げる方がたの声を、ノイジーマイノリティとして片付けないでほしい。誰にとっても自分事のはずである。