◆陽菜ちゃんが人柱になれなかったという別ストーリーの可能性も!?
〈すると監督は、映画を観ている誰もが、陽菜ちゃんのようになりうるかもしれないよ、と警告を発しているのかな?〉という妄想も成り立ってきて、監督のメッセージを予想するのが俄然おもしろくなる。
さらに妄想をたくましくしてみると、陽菜ちゃんが人柱として天に召された一瞬だけ、東京に真夏の空が戻ってきたシーンでも、次のような想像が膨らむ。
もし、異常気象が人類の産業活動による結果だと捉えられていたとしたら、陽菜ちゃんが人柱になったとしても元の季節には戻らない、という結末もあり得たかもしれない。なぜなら、地球のホメオスタシスの範囲内ではとても取り返しがつかないほど、地球の自然環境が人間の活動によって悪化しているのだとすると、地球が、これまで通りの人柱の人数では割に合わないと考えていても、おかしくないから・・・。そういう、どんでん返しの結末がありえたかもしれないと妄想してしまったのだ。
◆白龍のでいたらぼっち化
でも、そうなると、陽菜ちゃんが、自分さえ我慢すればみんなが幸せになる、と人柱になる決心をしたのとは裏腹に、雨天は解決しないということになる。
この場合、人柱を天に連れていく白龍にも意志があるとしたら、「無尽蔵に人柱を求めなければ気が済まない、だって原因は、地球のホメオスタシスを破壊しつつある、お前ら人類の活動にあるのだから」と言ってくるのかもしれない。
もしもこういう展開になっていたら、おそらく、陽菜ちゃんと同じような若い女性が、人柱として自分を差し出さないといけないケースがどんどん増え、際限がなくなっていたかもしれない。
このような状況に陥ったとしたら、白龍は、首都圏の人間にとって、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』に出てくる「でいたらぼっち」の様相を呈し始め、いくらいのちを差し出しても飲み込み続けるだけで、雨を降らせる雲を不気味に拡大し続け、人類に復讐し続ける地球の代弁者、という役回りを与えられていたかもしれない。
◆人間の醜悪さ
こうしたストーリー展開になって、さらに、悪天候を終わらせるにはたくさんの人柱が必要らしいという事実を誰もが知る、という状況になっていたとしたら。
こんどは、自分の利益を守ろうとする人たちが前面に出てきて、人柱になりそうな女性を探しては天に捧げようと奔走するさまが描き出されるのだろう。そのような、中世ヨーロッパの魔女狩りが再来したかのような社会状況の中で、自分たちだけは助かろうと画策する人間の、愚かしいエゴにまみれた姿が、スクリーンに映し出されていたのだろう。
そうなると、首都圏は、人柱を探し求める人間と、人柱として名指しされないよう逃げ惑う人間とのあいだでの、目も当てられないほどの不信にまみれた惨状が、スクリーンに映し出される結果となっていたかもしれない。
勝手にこうした別ストーリーの結末を妄想しながら、これまた勝手に一人で気を滅入らせている自分がいるのだった。
◆早くDVDを予約しなくちゃ!
はたして、監督はどんなメッセージを映画のなかに込められたのだろう?
関連して、人新世の開始時期を、いつだと捉えていらっしゃるのだろう?
とても気になる~~!
そもそも、監督のメッセージに関する私の勝手な推測などあてにならない。
もっと重大なヒントを見落としているかもしれない。
映画館に行ってからだいぶ時間がたっていて、記憶もあいまいだ。
ネットショップを確認したところ、もうすぐDVDが販売されるらしい。家計をやりくりして購入資金を捻出し、なるべく早く予約して、もういちど観てみなくては!
最後にお詫びをさせてください。
新海監督さま、監督からのメッセージをいろいろ勝手に推測してしまいましたこと、どうかお許しください!