◆美容室でクラスター感染が発生!
昨日テレビを見ていたら、福岡県の美容室で新型コロナウイルスのクラスター感染が発生したというニュースが目に飛び込んできた。
けれど、それと同じ日になされた小池都知事の会見では、美容室も理容室も、休業要請の対象業種から外れた。報道によると、都知事は粘ったけれど、最終的には国の意向に譲歩したらしい。
にわかには信じられない。美容室でもクラスター感染が発生しうると判明したばかりなのに、このちぐはぐな対策は、いったい何なのだろう?
美容室、理容室の経営者さんたちの苦悩は、深まっているに違いない。
◆追い込まれる経営者さんたち
お客さんと接しながら、ときに仕事や身の上の相談にものる美容室、理容室の経営者さんたちは、そのするどい肌感覚で、こう考えるに違いない。
〈福岡の美容室と同じように、うちでもクラスター感染が出てしまうんじゃないだろうか? そうなれば、お得意さんに迷惑をかけてしまう。従業員にも迷惑をかける。お得意さんと従業員のご家族だって感染してしまうかもしれない。いのちが最優先だから、すぐ店を閉めよう。〉
〈でも、店を閉めたとしても、営業自粛の対象業種じゃないから、行政からの資金的な支援は望めない。新型コロナウイルスに対処できるようになるまで数年かかる、という専門家の話もある。そうなれば、完全に資金がショートしてしまう。最悪の場合、待っているのは倒産だ・・・〉
こうして、経営者さんたちは、いのちとカネを天秤にかけたうえで、営業を続けるか否か判断するよう追い込まれる。
◆いばらの道を回避する方法
〈だったら、髪を切りに来たいお得意さんの信頼を損わないためにも、店は空けておいたほうがいいんじゃないだろうか? 怖いけれど、政府もいいと言ってくれているし・・・。〉
でも、一度はそう決心してみても、すぐさま、クラスター感染が起こるかもしれないという恐怖に加えて、別の、恐ろしい未来を予見しなければならない羽目になる。それは、自分の店でクラスター感染が起こった場合、クラスター感染が発生したライブハウス、クラブやバー、大学や病院のように、メディアやネットで犯罪者扱いされ、個人情報が晒され、場合によっては再起不能になるかもしれない、という恐怖である。
〈そうなるくらいなら、いけるところまで自粛して我慢してみよう。でも、我慢の限界になったら、もう店をたたむしかないのかもな・・・〉
店を閉めるも地獄、空けておくも地獄。どっちにしろ、いばらの道しか予見できないのである。
だから、経営者さんたちが、こうした苦悩を背負わないようにするためにも、業種を問わず、テナント料+最低限の光熱水費+従業員の給与の分くらいの直接保障をすぐさま開始してもらいたい。それが、新型コロナウイルスの蔓延を阻止するための、一番の近道にもなる。
◆責任の所在
しかし、いまのところ、国も都も、そうした施策を取ろうとする気配はない。その結果、もしも、美容室や理容室で、あらたなクラスター感染が起こってしまったら・・・?
世間は、メディアもネットも、経営者を非難するだろう。もともといのちを優先すべきじゃないかと悩んでいた経営者ほど、そんな世間からの冷たい風に「自分が悪かったんだ」と思い悩んでしまうだろう。その結果、将来に絶望する経営者が出てしまっても、おかしくない。
そんな事態が発生したら、営業を可とした国は、国の方針に従った都府県は、どうするのだろう?
おそらくは、誰も責任を取らないまま、騒ぎが収まるのを待つのだろう。
しかし、このとき、本当に責任が問われるべきは、全国民がいのちの危機に直面する国難のなかで、補償をケチり、対策を民間の経営者に丸投げし、いのちを最優先に考える施策を断行しなかった行政権力のはずである。行政権力の無策により、引くも地獄、進むも地獄という究極の判断を迫られた経営者さんたちが、責めを負わされてよいはずがない。
◆反省を恐れず、みんなで対策を考えよう!
何か問題が起こっても、政治的な圧力に右往左往し、いのちを守る観点からの決断をせず、抜け道を作り、一般市民に判断を押し付ける行政権力。そんな自分たちの無策が問題を起こしてしまったときに、自分たちに批判の矛先が向かないようにするため、市民同士がいがみあうような分断をも巧妙にもちこむ行政権力。
考えてみれば、水俣病や福島第一原発事故後の対応も、すべてそうだった。
今回のコロナ禍でも、すでに書いたように、クラスター感染の発生した事業所への非難があいついでいる。でも、やむなく営業を続けざるを得なかったのは、誰のせいか、冷静に考えてみればわかる。非常事態宣言が出たあとですら、美容室、理容室のように、政争の具にされる業種があった。おそらく、「なんであっちの業種だけもらえるんだ!?」といった感情的な分断が、今後、起こっていくと思う。そして、時が経つうちにみんなの懐事情がどんどん苦しくなっていけば、そうした声がさらに大きくなり、本来なら、助け合うべき仲間のはずの人たちの間での分断が、より顕著になっていくだろう。
責任を回避できた行政権力は、自らの失策を反省できない。そうすると、失敗を次に活かすこともできない。だが、新型コロナウイルスという未曽有の国難の前では、そうした行政権力の姿勢は、国民のいのちをますます危険にさらす結果になりかねない。
そんな負の連鎖には、今回のコロナ禍をもって、終止符を打たなければならない。いまは、何が良かったのか、何がよくなかったのか、常にフィードバックし、ひろく専門家や市民の意見におたがい耳を傾けながら、みんなで有効な対策を議論しつつ、新型コロナウイルスの蔓延をなんとか抑え込まなければ、多くのいのちが失われかねない戦後最大の危機的状況にあるのだから。