◆経産省に呼び出しを食らった、百貨店の経営者さんたち
4月11日付『朝日新聞』によると、デパートの経営陣が経産省に呼ばれ「なんて勝手なことをしてくれるんだ」と注意を受けたという。そのいきさつは、記事の内容によると、こうである。
4月6日。小池都知事は、会見で、百貨店も営業自粛の対象になる可能性をにおわせていた。ただし、最終的な業種の絞り込みを3日後に先送りしたのは、周知のとおりである。
翌、4月7日。大手百貨店4社は、小池知事の会見から自分たちも対象業種になると予想し、相次いで営業自粛を宣言。
ところが経産省は、百貨店の食品売り場だけは営業を続けてほしいと考えていた。それゆえ、安倍首相が緊急事態を宣言する4月8日より前に余計なことをしてくれたものだ、と怒ったらしい。
もしこの報道が本当だったとしたら。水俣病が起こった60年以上前と、何も変わらない構図があるじゃないか・・・! そう思わずにはいられなかった。
◆ほんとうは食中毒事件だった水俣病
水俣病が発生した当時。水俣市保健所は、どうやら水俣湾産の魚介類が原因らしいと独自の実験で突き止めていた。本来であれば、その時点で、食品衛生法を発動して水俣湾産の魚介類の接種を禁止し、食べた人を全て調査し、食中毒症状がないかどうか、調べなければならないはずだった。
けれども、水俣市は、当時、チッソ株式会社の城下町といわれるくらい、塩化ビニルの可塑剤で儲かっていたチッソの意向に左右される町になっていた。だから、食品衛生法は、自治体単位での発動ができるにも関わらず、水俣市保健所は二の足を踏んだ。そして、熊本県にお伺いを立てた。熊本県も自分では判断できず、国(当時の厚生省)にお伺いを立てた。
国の答えは、食品衛生法を発動してはならない、だった。当時、閣議で水俣病が議論された際、池田勇人経産大臣(のちの首相)が「時期尚早!」と厚生大臣を一括したと言われている。
その結果、水俣病が発生してから12年もの間、チッソ水俣工場からは、水俣病の原因である有機水銀を含んだ排水が垂れ流され続け、多くの二次被害を生んだ。
◆そっくりな構図。でも判断は大違い。
行政権力が、自分より弱い立場の組織を恫喝し、自らの意に従わせようとする構図。コロナ禍を回避しようと営業自粛を決断した百貨店の経営者さんたちが、経産省の意に添わなかったというだけで注意されたという記事を見て、水俣病のときから、この構図は何も変わっていないじゃないか!と、驚きを禁じ得なかったのである。
ただし、違う側面もある。水俣病のときは、たとえ政府に言われて身動きが取れなくなったとしても、熊本県や水俣市には、法的に、自分たちの判断で動ける余地が残されていた。食中毒事件では、自治体単位でスピード感をもって判断しないと、住民のいのちが守れなくなるからだ。
一方、今回英断を下した百貨店は、水俣病と違い、法的な要請はまったくない。もちろん、都から要請される可能性が高かったという前提はあるにしても、百貨店の経営者さんたちは、お客様と従業員のいのちを最優先に考え、先んじて営業自粛を決断した。その姿勢は、水俣病発生時、法の理念を捻じ曲げて被害を拡大させ、いまだに悉皆調査すら行おうとしない国、県、市の姿勢と比べると、アッパレというほかはない。
◆美容室・理容室の経営者さんたちと同じ苦悩
朝日新聞の記事によれば、営業自粛には別の要因もあったらしい。それは、美容室、理容室の経営者さんたちが、もしも営業を続けてクラスター感染が起こったら、世間から袋叩きに会うに違いない、という、あの恐怖だったのだという。3月の最後の週末。ほとんどの百貨店が営業を自粛した中で、唯一開店していた百貨店にたいし、SNS上で非難が相次いだらしいのだ。
まだ、感染が確認されていない段階であっても、このような事態が起こる。もし、国も都も営業を許可しているにもかかわらず、クラスター感染が起こったら・・・。世間の非難はもっと厳しくなるだろう。最悪の場合、コロナ禍が過ぎ去っても、お客さんが戻ってこないかもしれない。たとえそうなったとしても、国も都も、法的に要請したわけではないのだから、絶対に責任を取らないだろう。
経産省で煮え湯を飲まされた百貨店の経営者さんたちは、一にも二にも、この点を承知しているに違いない。
◆後世まで語り継がれるであろう、百貨店の経営者さんたち
実際、厚生省が食品衛生法の発動を否定したにもかかわらず、水俣病の患者さんたちには、国からの賠償金はいまだに支払われていない。ただし、チッソ株式会社は自らの非を認め、賠償を続けてきた。ところが、申請者が水俣病かどうかの判断は、加害当時者であるはずの行政の認定審査会が行ってきた。
2004年。水俣病関西訴訟で、認定審査会が判断基準としてきた国の認定基準は、水俣病の症状の実際にそぐわない厳しさがあり違法である、と最高裁は認定した。
ところが、当時の小池百合子環境大臣は、三権分立を盾に取り、行政権力の最高機関である国と、司法権力の最高機関である最高裁との判断は別であると公言、いっさい責任を取ろうとしなかった。
これが現実である。行政の判断が多くの人のいのちを狂わせた場合ですら、補償があるかどうかわからない。だからこそ、現在のコロナ禍において、国がいいよといったところで、営業できるはずもない。
水俣病の二次被害を引き起こした責任をとらず、いまだにいのちの保護を最優先にできないこの国の行政権力の姿勢は、残念ながら何も変わってはいない。
そんな行政権力の介入にひるまず、いのちを最優先に考え、営業自粛を決断した百貨店の経営者さんたちの姿勢は、後世まで、語り継がれていくだろう。