※だいぶ間が空いてしまいましたが、今日は、3月31日、4月1日のおもちゃ屋さんに関する日記の続きです。
◆モータリゼーションと中心市街地のシャッター街化
モータリゼーション全盛の時代。かつてはにぎわっていた町の中心部でも、駐車場が完備されていないとお客さんが集まらない状況に陥っている。
電車網がいきわたっている首都圏なら、駅前はまだ持ちこたえられるかもしれない。それでも、みのる屋さんや某大手玩具チェーン店のように、撤退を余儀なくされる場合もある。
地方都市は、もっと厳しい。かつて賑わいを見せていた商店街で、いつしか閑古鳥が鳴くようになり、シャッター街化するところが増えている。地方の町村は、さらに輪をかけた厳しさに見舞われている。小中学校時代を過ごした、薩摩半島北部の町。久しぶりに訪れたとき、町の中心市街地からアーケードがなくなっているのを見たときは、かなりショックだった。
◆町の中心のシャッター街化を促進した、郊外型のショッピングモール
20世紀には多くの人が集まっていた商店街。なのになぜ、いまは苦境に立たされているのだろう?
答えは簡単。それは、車で行くのが便利な郊外型のショッピングモールが、各地につくられていったからである。
でも、だからといって、郊外のショッピングモールが、いつまでもそこにあるとは限らない。採算が取れなくなれば、いとも簡単に撤退する。府中の街から、某大手玩具チェーン店が撤退したように。
商売である以上、それは悪いことではない。でも、郊外のショッピングモールが撤退するころにはもう、町の中心商店街はすでにシャッター街化していて、かつての賑わいを取り戻すだけの力はない。地元で回るはずのおカネをチェーン店に吸い取られ、瞬発力も持久力も奪われてしまったのだから。
こうして、地方の町の中心街は、経済活動だけでなく、その景観もまた、どんどんよくない方向に向かっていく。
◆弘前の中心市街地のおもちゃ屋さん
弘前に引っ越した、2011年の春。みのる屋さんのような、温かい気持ちになれるおもちゃ屋さんが、無性に恋しくなった。そして、私たち家族は、弘前の町におもちゃ屋さんがないかどうか、調べはじめた。ご近所のみなさんや同僚の先輩方に聞き込みまでしながら、一生懸命に探した。
そうしてやっとみつけたおもちゃ屋さん。でも、その前までたどり着いたとき、おもちゃ屋さんは既に閉店したあとだった。
かつては、弘前の街中の通りを挟み、向かい合うかたちで、ふたつのおもちゃ屋さんがしのぎを削っていたらしい。でも、時代の流れには抗えず、私たちが引っ越してくる直前に、どちらもシャッターを下ろしてしまったのだ。
もう9年ちかく前のことだけれど、シャッターで固く閉ざされたお店の前で子どもたちと立ちすくみ、悲しい気持ちになったのを、今でも鮮明に覚えている。
◆大型店の出店規制を続ける先進諸国。促進する日本。
日本では、規制緩和の波に合わせ、2000年、小型店舗を守る目的をもった「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」が廃止された。そして、1998年に制定されていた「大規模小売店舗立地法」によって大規模店舗の出店規制が緩和され、大型のショッピングモールが、郊外へどんどん建設されるようになっていく。そして、駐車場が充実していない街の中心街は、次第にシャッター街化していった。
その弊害はおおきい。歩いていける距離のお店がどんどん閉まっていくため、お年寄りだけの世帯や車を持たない世帯は、お買い物が難しくなる(※)。郊外へ買い物に行く自動車の排気ガスにより、温暖化が促進されるという問題も出てくる。
こういった弊害を回避するため、多くの先進国は、街の商店街を守るための規制を、今でも続けている。また、中心市街地で人が自由に行き来できるよう、車の往来を禁止し、公共交通網を整備し、歩行者や自転車の専用道路を充実させている都市もある。
しかし、日本はわざわざ規制を撤廃した。そして、おおくの街の中心市街地は、かなりの程度でシャッター街化した。もしも、日本の古き良き商店街の景観を取り戻したいのなら、規制緩和のあり方を、もう一度みんなで議論すべきときが来ている。
それにしても、一度でいいから、弘前のおもちゃ屋さんが開いているときの姿を、この目で見てみたかった・・・。
【注】
(※)杉田聡著(2008)『買物難民――もうひとつの高齢者問題』大月書店