《お詫び》住んでる自治体の方針で先週から保育園も休業となりました。クラスター感染を防ぐための英断です。しかしながら、私自身は過労気味になっています。昼間は上の子たちに手伝ってもらいつつ2歳児の世話をしながら、合間を縫っての在宅ワーク。集中しての仕事は夜という日々を送っているいからです。保育士さんたちの存在の大きさに、あらためて気づかされております(深謝!)。そういうわけで、ブログの更新が滞りがちになっておりますこと、お許しください。
◆はじめての「ごめんなしゃい!」
このあいだの19日、日曜日。2歳のDくんがはじめて「ごめんなしゃい!」と言った。それはそれで嬉しい出来事なのだけれど、ちょっとだけ疑問符のつくシチュエーションだった。お兄ちゃんがもってるお菓子を欲しそうに眺めていたDくん。「あげる!」と言われて受け取ったとき、でてきた言葉が「ごめんなしゃい!」だったからである。
ママのK子さんは、嬉しそうにお菓子を持ってきたDくんに、「もう一回お兄ちゃんに『ありがとう』と言ってきたほうがいいんじゃない?」と諭した。なるほど、と神妙な面持ちになって、再度お兄ちゃんの部屋に向かったDくん。今度は「ありがとう!」と言うかと思いきや、おもむろに「ごめんなしゃい!」ともう一度繰り返したのである。みんなでズッコケてしまった。
◆「と!」じゃないの!?
Dくんはこれまで、親きょうだいから「謝った方がいいんじゃない?」と諭されるようなシチュエーションであっても、頑として口を開こうとしなかった。むしろ、諭す相手に「ぶーっ!」と言って威嚇してくる。それが可愛すぎて、思わずこっちは笑いをこらえないといけないのだけれど。
ただ、謝意をしめすべきシチュエーションではお礼を言うことができていた。まだまだろれつが回らないから、「ありがとう!」と完璧には言えず、「と!」とだけ言うのが、Dくんなりの謝意の表し方。「お礼が言えて偉いね~!」と言いながら、可愛すぎて笑わずにはいられない。
そんなDくんが、いつもなら「と!」と言うはずのシチュエーションで、誰もが予期していなかった「ごめんなしゃい!」という言葉を2回も使ったものだから、家族一同ひっくり返り、笑い転げてしまったのである。
◆「すみません/申し訳ない」と「ありがとう」
たしかに、日本には、感謝の気持ちを表すのに「すみません」と言う文化がある。道を譲ってもらったとき、順番を譲ってもらったとき、私たちは「すみません」とか「申し訳ない」という。
この「申し訳ない」という気持ちは、「ありがとう」という言葉に置き換えても、間違いではない。以前、お坊さんの説法で学んだのだけれど、ありがとうは仏教用語の「有り難し」からきているのだそうだ。そして、有り難しの対義語は、「当たり前」。ほんとうなら相手が先にして「当たり前」なことを譲ってもらうなんて、なかなか「有り難し」で「申し訳ない」ことなのだから、「ありがとう」でもいいのである。
つまり、相手が先にやって当たり前なことを譲ってもらって「申し訳ない、すみません」と思う気持ちと、「ありがたし、ありがたし」と思う気持ちとは、同根なのだ。そう考えると、Dくんは、2歳にして、「と!」の奥に隠されているこうした日本の深層文化を理解し、「お兄ちゃん、ほんとうなら自分が食べれて当然のものを譲ってくれて、申し訳ないでしゅ」という気持ちが心のなかに生まれ、「ごめんなしゃい!」と言うに及んだのかもしれない。
◆2歳児の忖度?
もしそうだとしたら、相手の気持ちをそっと慮るという、本来の良い意味での忖度ができる、スーパー2歳児だということになる。親としては、とっても喜ばしい成長である(親バカでごめんなさい)。
でも、自分の昇進や自己保身のため、言われなくても上司の思惑を先回りして実行するという、ここ数年で転化した悪い意味上の忖度をしている可能性もぬぐえない。先回りして「ごめんなしゃい!」と言っておけば、お兄ちゃんはいい気分になり、Dくんはこれからも継続的にお菓子を貰えるようになるのだから。そう考えると、そら恐ろしい能力を持った2歳児?ということになる。
でも、口に出さずにお膳立てするのが、本来の?悪い意味での忖度なのだから、「ごめんなしゃい!」と言っている時点で、私のこの評価は間違っているに違いない。Dくんはきっと、日本の文化を理解しただけなのだ。そういう良い方向で解釈し直して、ホッと胸をなでおろす、小さいハートの自分がいるのであった。