◆パルパティーンの野望から導かれる教訓
パルパティーンには、自らの独裁を実現し、銀河系をシスの支配下におくという野望があった。それを実現するため、最高議長である自分に非常時大権が与えられるよう、巧妙に動乱を仕組んだ。こうしたパルパティーンの手口からわかるのは、自らに権力を集中させたいという野望を持つ人物や組織にとっては、非常事態宣言はそのための強力な手段のひとつになりうる、ということである。これが『スターウォーズ』の非常時大権をめぐるやり取りから引き出せる、重要な教訓である。
「でもそれって、しょせん映画の中の作り話だから、リアリティーはないじゃないか」と思われるかもしれない。しかし、現実の歴史にも似たような事例が存在する。それは、ナチスの手口である。
◆ヒトラーの野望:強いゲルマン国家の設立
ヒトラーは、「純血」のアーリア人種だけで構成されたドイツ国民による、強い絆で結ばれた民族共同体の「復権」を夢見ていた(※1)。そのための方策は、『我が闘争Ⅰ――民族主義的世界観』のなかで多岐にわたり記されている。
ヒトラーはいう。人類は、まずもって種の保存を目的とし、そのための民族共同体を形成している。なかでもアーリア人種は、文化を創造してきた優秀な血統である。ほかの民族はそれをマネしてきただけである(※2)。そういったドイツ民族の誇りを維持するため、国民は教育により民族意識を涵養され、他民族への敵意を恐れぬよう育てられる必要がある。
優秀なドイツ民族は、世界に冠たる地位を締めなければならない。そのために、領土を拡張していく植民政策も必要だ。「民族の居住地域の大きさの中にはすでに、それだけで外的な安全性を決定する本質的要素がある」のだから(※3)。そうした政策には人口の増加が欠かせないから、若者には早期の結婚を促進し、若い夫婦にどんどんこどもを作ってもらう必要もある(※4)。
◆ヒトラーの野望:議会制度の廃止
ドイツ民族がそのように力強く飛躍していくため、国民は、誰もが総力を挙げて協力しなければならない。それゆえ、「大衆」には多様な選択肢など必要ない。個人の権利は引っ込めないといけない。ありうるべきなのは、強いドイツ国家をつくろうとする総意のみである。「国家を維持するだけの力とは・・・全体のために個人を犠牲にする能力と意志である」(※5)。
こうした方針には、何人たりとも、異論を挟む余地はない。もちろん議会政治も必要ない。だからわれわれナチの運動は反議会主義である。だが、現実の政治が議会制度に基づいている以上、それに参加はする。だが、われわれが「議会制度へ参加するのでさえ、ただそれを破壊するための、つまりわれわれが人類のもっとも深刻な頽廃現象の一つと認めなければならない制度を取り除くための活動という意味しか持ちえない」(※6)。そのような運動を盛り上げるには、自己の正当性を確信するための、「他のあらゆるものに対して不寛容で貫き通す宗教的熱狂」こそ必要となる(※7)。
ゾッとするけど、ヒトラーは本気でこうしたことを書いている。
◆ワイマール憲法の緊急事態条項を使ったヒトラー
ヒトラーが、そうした理想を国家のなかで実現するには、パルパティーンと同じ手法、すなわち異論を排することのできる独裁を敷くしかない。
では、その野望を達成するため、ヒトラーはどういう手を使ったのだろう? 2017年に発行された東京大学の長谷部恭男教授と石田優治教授の著書『ナチスの「手口」と緊急事態条項』(集英社新書)を参照しつつ、経過を追ってみよう。
1933年1月30日、ヒトラーはヒンデンブルク大統領により首相に任命される。同年2月27日夜、ベルリンの国会が放火される事件が勃発。ヒトラーはこれを共産党の組織的な陰謀だと決めつけ、憲法上の人権を停止する。このとき使われたのは、「公共の安全及び秩序に著しい障害が生じ、又はそのおそれがあるときは、共和国大統領は、公共の安全及び秩序を回復させるために必要な措置を取る」ことができると規定された、ワイマール憲法の大統領緊急措置権だった(第48条)。
パルパティーンのように非常時大権を手に入れるための権謀術策を弄しなくとも、ヒトラーは、嫌っているはずのワイマール憲法に規定されている伝家の宝刀を使いさえすればよかったのである。しかも、非常事態を大統領に宣言してもらうきっかけとなった国会焼き討ちは、のちの研究で、ナチスが自ら起こしたことがわかったという(※8)。すなわち、ヒトラー独裁への道を一歩も二歩も近づけるため、どうしても必要だった国民の権利を制限する口実として、ナチス自身が、非常事態をでっち上げたのだ!
つまり、ヒトラーは、独裁を実現するための手段として、ワイマール憲法の非常事態条項を利用したのである。
(2020年5月4日修正)
【注】
(※1)「復権」に括弧をつけたのには理由がある。ヒトラーは、崩壊してしまったドイツ帝国への憧憬からドイツ民族共同体を復活させないといけないと言っているが、一つの民族という言い方は往々にして歴史的事実に基づいていないからである。たとえば、いまの日本人は、明治期の琉球民族やアイヌ民族の併合、古代の出雲族や隼人族の統合、その前の縄文人と大陸から渡ってきた弥生人との融合…といった歴史によって構成されている。なのに日本「民族」と言い切ってしまえば、それは、来歴の違う人びとの子孫の集まりがいまの日本人だという歴史的な事実を見過ごし、あらたな民族を創作する行為となる。ヒトラーがやったのも同じことである。昨年亡くなった思想家イマニュエル・ウォーラーステインによれば、「実際、いついかなる時点でも、伝統的とみなされるものの多くは、一般に考えられているよりもずっと歴史の浅いものである」(ウォーラーステイン著・川北稔訳『近代世界システムⅡ』2006年岩波書店刊、293頁)。
(※2)ヒトラーは、日本もまた、そうした文化を支持する国に過ぎないと述べていて、アジアへの差別意識をのぞかせている(アドフル・ヒトラー著、平野一郎・将積茂訳(1973)『我が闘争(上)Ⅰ民族主義的世界観』角川文庫、378頁)。
(※3)同上、183頁。
(※4)同上、328頁。
(※5)同上、204頁。
(※6)同上、448頁。
(※7)同上、455頁。
(※8)本文に出てくる『ナチスの「手口」と緊急事態条項』、57頁。