◆最悪の事態になってからでは遅い!?
緊急事態条項の発動により実現された独裁の下、緊急事態なのだからと国会が停止され、政府により人権どころかいのちも奪われかねない法律がどんどんと制定され、運用されていくという、恐るべき事態。フォン・ガーレン大司教の勇気ある行動は、そんな社会状況にあったとしても、「この政策はおかしい」と声をあげれば、政策の流れを変えられる可能性がある、という教訓を示してくれている。
しかし、同調圧力がものすごい非常事態下で声をあげるには、相当な覚悟と勇気がいる。フォン・ガーレン大司教自身がそうであったように、いのちを狙われる危険性だってあるのだから。
やはり、そういう状況に陥ってしまってからでは遅い。そして、憲法における緊急事態条項の創設が権力をもつ人たちから強く叫ばれ始めているいま、ワイマール憲法の緊急事態条項がそうだったように、権力者の恣意的な運用を可能にする文言が隠されていないか、慎重に見極める必要があるのだ。
◆ワイマール憲法の最大の欠陥
ワイマール憲法の緊急事態条項の最大の欠陥は、大統領のさじ加減ひとつで、人権の停止がいとも簡単にできてしまったという点に尽きるだろう。そこで以下、ワイマール憲法の緊急事態条項に関する第48条の条文を、ぜんぶ引用してみよう(※1)。
(一)ラント(ワイマール共和国を構成する州)が共和国の憲法又は法律によって課せられた義務を履行しないとき、共和国大統領は、武装兵力を用いて義務を履行させることができる。
(二)ドイツ国内において、公共の安全及び秩序に著しい障害が生じ、又はそのおそれがあるときは、共和国大統領は、公共の安全及び秩序を回復させるために必要な措置を取ることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。この目的のために、共和国大統領は、第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(通信の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の自由)、第124条(結社の自由)及び第153条(所有権の保障)に定められた基本権の全部又は一部を暫定的に停止することができる。
(三)共和国大統領は、本条第一項又は第二項に基づいてとられた措置につき、遅滞なく国会に報告しなければならない。これらの措置は、国会の要求があれば、廃止されなければならない。
(四)危険が切迫している場合、ラント政府はその領域において、第二項に定められているような態様の暫定的措置を講ずることができる。共和国大統領又は国会の要求があれば、これらの措置は廃止されなければならない。
(五)詳細な規定は国会の制定する法律によって定めるものとする。
この条文を読んでいて恐ろしいのは、大統領には人権を完全に停止できる絶大な権力があったにもかかわらず、いったいどんな場合が「公共の安全及び秩序に著しい障害」を及ぼす事態なのかが、法律で定めるとなっている点である(第五項)。しかも、驚くことに、ヒトラーの独裁が始まるまで、詳細を規定する法律はついに定められなかった。主権者であるはずのワイマール共和国の国民はまさに、人権がいつでも停止される権力を、フリーハンドで大統領に与えてしまっていたのである。それが、ナチスの独裁につながる最大の理由だった。
◆緊急事態の認定は、首相のさじ加減ひとつ!?
実は、大統領のさじ加減ひとつで緊急事態を特定できたワイマール憲法とそっくりなのが、自民党による「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日決定)の緊急事態条項案だと長谷部恭男・石田勇治両教授は指摘する。該当する条項案をみてみよう(※2)。
第9章 緊急事態
(緊急事態の宣言)
第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
長谷部教授はいう。「この自民党改憲案でいろいろ書き込まれている武力攻撃や地震というようなものは、ただの例示であって、必要条件ではない。~中略~要するにここで規定されているのは、内閣総理大臣が「特に必要があると認める」ということだけです」(長谷部・石田2017、166頁)。
つまり、内閣総理大臣の思惑次第では、ワイマール共和国下で起こったような、特定の民族や政敵を追い落とすための人権停止をも可能にするという意味で、抜け穴の多い条文になっているのである。
◆法律まかせの条文は危ない!
しかも、読んでいて目立つのは「法律に定めるところにより」という文言である。肝心な権力への規制事項を条文として書かず、法律に任せるという発想は、ワイマール憲法と同じだというのがわかる。
この点で、日本には、戦前の苦い記憶があるはずである。大日本帝国憲法の第29条で、国民は人権を法律の範囲内で有すると定められていた。それにもとづき制定された治安維持法により、政府の批判ができなくなり、公権力の介入にり表現の自由が次第に狭まっていって声をあげられなくなり、最終的には、市民活動家、研究者だけでなく、絵の構図に難癖をつけられた学生まで公権力により弾圧・虐殺されていったのだから(※3)。
このように、ワイマール共和国、戦前の日本の歴史に照らせば、自民党の改憲案では、定められる法律の内容次第で、首相が「該当する」と言いさえすれば、どんなことでも緊急事態になりうる可能性がある。そうなると、いったい誰が、「内乱等による秩序の混乱」をもたらす人間だと指定されるか分からない。フランク・パブロフさんたちの有名な絵本『茶色の朝』のように、ある日突然、茶色の犬を持っている人がその対象になってしまうかもしれない。
このように、憲法の条文に権力を制限する規定を設けず、運用の詳細は法律に任せるとする点で、自民党の緊急事態条項案とワイマール憲法の緊急事態条項は非常に似ている。
石田勇治教授はいう。「この案ですと、まず緊急事態であるかどうかは内閣総理大臣が自分で決めて、その後、閣議にかけて宣言を発するわけです。ワイマール憲法、あるいはフランス第五共和制憲法に近いと言っていいでしょう。行政府の長が自分で決めるということですから」(※4)。
第48条第三項で国会に大統領緊急令を停止する権限が与えられ、実際に何度もその権利が行使されたワイマール憲法のほうが、歯止めがあっただけ、まだましといえるのかもしれない。
◆問題は、立憲主義を維持できるか、どうか
考えすぎなのかもしれない。しかし、改憲案の示された翌2013年、ナチスの手口を真似ればいいと明言した閣僚がいる以上、イヤな予感が頭をよぎる。
主権者たる国民が、自分たちの権利を最大限に守るため、権力がやってはいけないルールを憲法に書き込み、権力者たちが暴走しないようにする。それが立憲主義の基本である。ワイマール憲法の緊急事態条項は、ヒトラーという権力者が自分の欲望を達成するため、主権者の権利を制限するのに使われた。自民党の改憲案に、そうした歴史を繰り返す可能性が少しでもあるとしたら、その点のおかしさは、主権者どうしで幅広く議論し、見直しを求めていく必要があるのではないだろうか。
こんなに大事なことが、新型コロナウイルス禍の混乱に乗じて、拙速に決められてよいはずがない。もし、自分自身、愛する人、友人・知人、親戚、職場の同僚が、ナチス政権下のドイツの人たちと同じように蹂躙されるのを許せないと思うのであれば、いまは、冷静な判断が試される時だと思う。
幸い、私たちは歴史に学びうる地点に生きている。その利点を生かさないわけにはいかない。若い世代、こどもたち、そして将来の世代のためにも。
【注】
(※1)長谷部恭男・石田勇治共著(2017)『ナチスの「手口」と緊急事態条項』集英社新書、26~28頁。
(※2)同上書、163頁。
(※3)いわゆる生活図画事件のこと。この事件が出てくるHBCテレビのドキュメンタリー番組「ヤジと民主主義」は、いろいろと考えさせられた(HBC公式YouTubeチャンネルで視聴可能)。
(※4)同上書、165頁。