【法の問題7】「緊急事態条項」について考える⑦
緊急時でも権力の抑止が最大限に図られる、ドイツ、アメリカ、フランス
◆海外の場合はどうなっているの?
それでも〈可能な限り権力の恣意的な運用を制限した上で、災害や紛争などにそなえる非常事態条項の制定は必要じゃない?〉という意見はあると思う。そこで今日は、海外では緊急事態条項がどういう形で定められているのか、という点について探ってみたい。
といっても、私は憲法学の専門家ではないので、海外の緊急事態条項の内容には詳しくない。そこで今日は、長谷部恭男教授と石田勇治教授の共著書『ナチスの「手口」と緊急事態条項』で分析されている、アメリカ、フランス、ドイツの事例を要約し、それらの共通点を洗い出してみたい。そのうえで、共通点から浮き彫りになる日本国内での議論の問題点を指摘したい。
◆ドイツの場合
ボン基本法には、緊急事態条項が存在する。以下は『ナチスの「手口」と緊急事態条項』に掲載された、その分類である。
〈ボン基本法における緊急事態の分類〉
〇対外的緊急事態
防衛事態(第115a~1条)
緊迫事態(第80a条第1項及び第2項)
同盟事態(第80a条第1項)
〇対内的緊急事態
連邦・州の存立に対する急迫事態(第87a条第4項、第91条)
災害事態(第35条第2項及び第3項)
石田教授によると、「防衛事態」はドイツ連邦の領域が武力で攻撃されたり、攻撃の切迫の度が増していたりすること、「緊迫事態」はその前段階としての「一般市民の保護が必要な状態」、「同盟事態」は、「NATOのような同盟の範囲内で「緊迫事態」が起こった場合」が念頭に置かれている(※1)。
ところが、これらの条項が使用されたことは一度もない(※2)。また、どんな状況であっても、人権条項が優越する。つまり、緊急事態であってもけっして変えてはならない「永久条項」が存在する(※3)。このような理念は、ナチ政権の過ちを二度と繰り返してはならない、という反省からきている。
◆アメリカの場合
意外なことに、合衆国憲法には、非常事態条項の規定が少ない。
〈アメリカ合衆国憲法〉
第1篇第9節第2項(連邦立法権の制限)
人身保護令状の特権は、反乱又は侵略に際し公共の安全上必要とされる場合を除いて、停止されてはならない。
第2篇第3節(大統領の義務)
……大統領は、非常の場合には、両議院又はいずれかの一院を招集することができる。……(※4)
もちろん、一部の大統領は、非常時に、人身保護の停止を執行しようとした。記憶の新しいところでいえば、ブッシュJr.大統領が、虐待写真の流出により大問題となったアブグレイブ刑務所に、3・11テロの容疑者として集めていた人たちの人身保護を停止しようとした。しかし、連邦最高裁は積極的に介入し、これを違憲と判断したという(※5)。つまり、非常時に為政者が特定の人間に対し人身保護を外す特権を持っていたとしても、たとえその相手がテロの容疑者であったとしても、必ず発動できるとは限らない制度設計になっているのだ。
◆フランスの場合
では、フランスの場合はどうか? まだアルジェリアがフランスの植民地だった時代、アルジェの軍の蜂起がまことしやかに噂される事態に陥った。クーデターを回避するため、議会は、シャルル・ド・ゴール大統領の率いる政府に、憲法改正の権利を与えた。そして、第16条に緊急事態条項が規定された。
長いので条文自体の引用は省略するけど、びっくりするのは、第16条のどこを読んでも、国民の権利を制限できるといった文言が出てこない点である。さらに、一時的に政府が法令を作れるとしても、その際は憲法院に諮問しなければならない(第3項)。しかも、国会は当然集会され(第4項)、緊急事態の行使中は解散することもできない(第4項)。そして、緊急事態を発動してよい期間も、延長の手続きも、第三者を入れる仕組みで厳格に定められている(第6項)。
しかも、緊急事態の発動条件がかなり厳格で、「共和国の諸制度、国の独立、領土の保全あるいは国際協定の履行が重大かつ切迫した脅威にさらされ、憲法上の公権力の正常な運営が妨げられた場合には、共和国大統領は、首相、両議院議長及び憲法院に公式に諮問した後、状況により必要とされる諸措置を採る」と規定されている(第1項)。あくまでも、主権者である国民のつくる国が何らかの要因で侵害された場合にのみ、各所に相談したうえで非常事態の措置ができるという構成になっている。つまり、権力の気に食わない事態が非常事態と宣言され、人権が停止されてしまうような事態は絶対に許さないという理念によって、非常事態条項が規定されているのだ(※6)。
◆憲法の民主主義理念からの後退を余儀なくする、緊急事態条項案
以上から、ドイツ、アメリカ、フランスともに、人権を、たとえ非常事態であってものりこえることのできない至上の価値としているのがわかる。さらに、その理念を守るため、非常時に権力が暴走しないための工夫が、条文としても制度としても凝らされているのがわかる。ヒトラーがワイマール憲法をどのように利用したかを知っていれば、これは当然の措置だともいえる。
一方、日本の緊急事態条項創設に関する昨今の議論はどうだろう?
昨日みたように、いま日本で議論されている自民党の緊急事態条項案は、どちらかというとワイマール憲法に近く、独裁への道を開きかねない内容となっているのだった。また、今日みてきた3つの先進国における憲法の理念と比較してみると、自民党の緊急事態条項案が、民主主義と個人の尊厳を守るという点ではかなり後退した内容になっているという点も、浮き彫りになった。
緊急事態条項案を導入するかどうかという議論は、こういった点もふまえたうえで、慎重になされる必要があると思う。
【注】
(※1)以上、条文と石田教授の説明は、長谷部恭男・石田勇治(2017)『ナチスの「手口」と非常事態条項』集英社新書、128~129頁。
(※2)同上書、145頁。
(※3)同上書、136頁。
(※4)同上書、148~149頁。
(※5)同上書、162頁。なお、第二次世界大戦中、日系アメリカ人が大統領命令によって収容所に強制移住させられた有名な事件でもまた、人身保護は優先されなかったわけだけれども、当時の最高裁はこれを違憲としなかったという(同上書、162頁)。。ナチスの歴史をふくめ、民族や人種などの来歴という個人の力ではどうしようもない属性にもとづき、おおくの人のいのちが奪われた事実を知っている現代の私たちとしては、このアメリカ最高裁の判断は当然あたまに来る。法の下の平等の観点からいえば、その怒りは当然だ。そして、いまでは、長谷部教授によると当時の判例は誤りだったと広く認められている(同上書、162頁)。
(※6)以上、フランスの緊急事態条項については、同上書151~158頁。