◆記事を読み返すうち、ひとつの疑問がわいてきた
緊急事態条項案に賛成する人が過半数。そんな記事に目が留まったのが、このブログに「法の問題」のカテゴリーをつくるきっかけだった。勉強してみて、いろいろ大事なことがわかってきた今の時点で、東京新聞の記事をもういちど読み返してみることにした。
「共同通信社は28日、憲法記念日の5月3日を前に郵送方式で実施した憲法に関する世論調査の結果をまとめた。大規模災害時に内閣の権限を強め、個人の権利を制限できる緊急事態条項を憲法改正し新設する案に賛成51%、反対47%だった。新型コロナウイルス感染拡大で自民党内に議論活性化を求める意見がある一方、国民の賛否は二分している現状が浮かんだ。」(※1)
「大規模災害時に内閣の権限を強め」という箇所を読んでから〈あれ?〉と思った。〈質問では、非常事態の例が「大規模災害」しか挙げられていなかったのだろうか? もしそうだとしたら、あくまでも緊急事態の例示にすぎない「大規模災害」という言葉が独り歩きしてしまったのではないか? それゆえ、質問票を受け取った方たちが回答を考えるとき、念頭にあった緊急事態は「大規模災害」だけとなってしまったのではないか? そうだとしたら、ほんとうは別のところにある緊急事態条項案の問題の本質が、回答する方たちに知らされないままの調査結果になってしまっているのではないか?〉
◆問題の本質が捉えきれていない世論調査の設問
疑問が抑えきれなくなった私は、「共同通信 憲法世論調査の詳報」が掲載されている6面を慌てて開いてみた。そして、大変なことに気が付いた。件の質問文は、こうなっている。
「問14 憲法改正の議論では、大地震など大規模災害の緊急事態に対応するため、内閣の権限を強め、移動の自由など個人の権利を制限できる条項を新設する案があります。あなたは賛成ですか、反対ですか。」
この問いかたは、かなりマズイ。世論調査としては完全なミスリードだ。なぜなら、この問いの念頭にあるはずの、自民党の緊急事態条項案にかんする問題点の本質が、まったく見えてこない設問になっているからである。
なぜか? ナチスの歴史と、それへの反省から権力を制限するのが、民主国家の緊急事態条項の標準となっていること。しかし、自民党の緊急事態条項案は、むしろナチスへの独裁をひらいたワイマール憲法に近く、首相の思惑次第で非常事態はいかようにも設定できる可能性があること。今日までの考察でわかったこれらの問題点こそ「それでいいと思う?」と主権者に問わなければならない、本質的な事項だったはずなのに、この設問はそうなっていないからである。
◆ほんらい尋ねるべきだった質問
この点に照らせば、自民党の緊急事態条項案に賛成か反対かを問うには、少なくとも以下の2点が、質問項目としてあげられなければならなかったはずである。
①緊急事態の内容は、行政権力の最高権力者の一存で決められるという原案に、あなた賛成ですか、反対ですか?
②①のように緊急事態が認定された後、引き続き同じ行政権力の最高権力者によって人権が停止されてもいいという原案に、あなたは賛成ですか、反対ですか?
調査項目を作った共同通信社が、緊急事態条項案の問題の本質を把握したうえで、もしもこうした質問をしていたら、賛否の回答比率は、もっと違っていたかもしれない。
だから、あくまでもひとつの例に過ぎないはずの大規模災害だけがイメージされるような文面で、内閣の権限を強め、個人の権利を制限するのに賛成か反対かと問うのは、世論調査としてミスリードだと思ったのだ。ぜひとも、問題の本質をふまえた質問項目で、再度、世論調査をしてほしい。
◆リップマンが危惧したステレオタイプ的言説
そうしないと、本当は回答者のおおくが意図していなかった言説が、世論調査の結果として独り歩きしかねない。
不朽の名著である『世論』の著者、ウォルター・リップマンは、「多数の人びとの頭の中で生きている印象は、人それぞれに計り知れぬほど個人的なものであり、集団全体としては手のつけられないほど錯綜している」と喝破した(リップマン1987b、11頁)。それなのに、集団精神とか単一不変の観念とかが生まれるのは、ある見方が固定観念となって、個人個人のイメージに影響するからだとも喝破した。そのように、個人の考えの前提としておおきな影響を与える固定観念を、リップマンはステレオタイプと定義した。
リップマンは、事実を自分に都合のよいように書き換えられる権力者や軍の関係者などを、ステレオタイプをつくり出す人間として例示した。それだけではない。リップマンは、新聞(マスメディア)もステレオタイプをうみだすものと捉えている。そして、ステレオタイプ化された言説が、人々の意識に影響を与え、客観的な事実をつかみ損ねる要因になると考えた。
◆結果がステレオタイプと化し、議論をミスリードする可能性
「国民の過半数は緊急事態条項の創設を支持している」という今回の調査「結果」は、リップマンが危惧した、マスメディアによるステレオタイプと化す可能性を秘めている。
今回の調査「結果」は、あくまで、「大規模災害」を前提とした内閣による人権の制限への賛否を問うている。改めて問題の本質を突いた設問で再調査したら、〈えっ、緊急事態って大規模災害だけを指しているんじゃなかったの?〉と思って賛成から反対へと翻意する人もいるだろうし、〈そうそう、大規模災害だけじゃ生ぬるいと思ってたんだ、これこそ必要な緊急事態条項なんだよ〉と反対から賛成に回る人だっているかもしれない。
ここにあげた例だって、人びとの多様な考え方のうち、予想されるふたつの例を示しているに過ぎない。リップマンが言うように、「何百種類もの感じ方を表明するのにたった二つの方法しかないときに、どの感じ方が組み合わされて投票が決定されたのかは知る術もない」のだ(リップマン1987b、14頁)。
だからこそ、問いはより正確なものでなければならない。しかし、そうなっていない以上、今回の結果は、国民の真意をつかみ損ねた「世論」となっている可能性が否めない。
にもかかわらず、「国民の過半数は緊急事態条項の創設を支持している」と断言してしまえば、この一文は、国民的な憲法論議がなされる際の前提として独り歩きし始めるだろう。これこそ、リップマンのいう客観的な事実をつかみ損ねたステレオタイプである。あるいは、問題の本質を問わず、しかも例示を大規模災害だけに絞る禁欲的(?)な設問により、複雑に錯綜しているはずの個々人の考え方から、ある一定方向の見方を多数派として抽出した、一種の世論操作になってしまっている可能性も否定できない。
そんな可能性が拭えない「結果」を、マスメディアが、無批判に、ステレオタイプ的に垂れ流す状況は、正常な言説空間だといえるのか。「結果」は、緊急事態条項を制定したい人たちにとっては「過半数が賛成しているじゃないか」という印籠の役割を果たすだろうし、制定がおかしいと思っている人にとっては必要のない憤怒を引き起こす引き金にもなるだろう。いずれにしても、ステレオタイプによる不幸な勘違いになりかねない。公論にたいするそうしたミスリードを回避するためにも、問題の本質を捉えた設問による再調査が、ぜったいに必要だと思う。共同通信さんには、ぜひ検討をお願いしたい。
【注】
(※)「緊急事態条項の賛否二分 憲法改正「必要」は61%」『東京新聞Tokyo Web』2020年4月29日配信(https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020042801002759.html)(朝刊は3面)
【引用・参考文献】
・W.リップマン著、掛川トミ子訳(1987a)『世論(上)』岩波文庫
・W.リップマン著、掛川トミ子訳(1987b)『世論(上)』岩波文庫