◆社会環境の問題も描写されている!?
『天気の子』で描かれている環境問題の中心は、異常気象、つまり自然環境破壊の問題だった。映画のメインストーリーでは天気が描かれているから、そっちのほうに気を取られてしまうけれど、新海監督は、自然環境破壊の問題と同じくらい、社会環境破壊の問題にも焦点を当てていらっしゃるんじゃないかな、と感じた。陽菜ちゃんと凪くんの家庭環境の描写には、この社会のつながりの脆弱さという問題が、織り込まれているように思ったからである。
高校生の陽菜ちゃんが、小学生の弟・凪くんを一生懸命に世話するシーン。過去の自分にも、似たような境遇があった。
◆主ふ道
小学2年生の夏休み。田んぼと山のひろがる田舎に泊まり、さんざん遊びつくしたあと、おばあちゃんと自宅に戻ったら、母親の匂いのするものはすべてなくなっていた。まだ4歳だった妹が、両親が別れた意味も分からず「ママ~、どこ~?」とずっと泣きじゃくっていたのを覚えている。2学期が始まる前に、世話してくれることになった伯母宅に引っ越したから、学校のともだちに挨拶する間もなかった。父とも離れて暮らす日々が始まった。
小学5年生になると、今度は父と妹との3人暮らしが始まった。このときから私の「主ふ道」は始まった。年に半分ほどは、祖母が泊りがけで家事の手伝いに来てくれたけれど、それ以外の日々は、風呂そうじに洗濯、簡単にできるレシピでの食事の用意を自分がやらなくてはならない。正社員で夜遅くまで仕事がある父。「何とか頑張らなくちゃ!」と自分に言い聞かせていた。
1年ほど前のこと。子どもの三者面談で、担任の先生から「ケアラー」という耳慣れない言葉を聞いた。自分の少年期は、まさに、成蹊大学の澁谷智子准教授が定義されている「ヤングケアラー」そのものの境遇だったらしいと、このときはじめて知った。
◆こども二人で暮らす日々
高校生になったら、祖母の家の近くに引っ越した。けれども、父が県外へ単身赴任。祖母も何かと忙しかったから、実質的に妹と二人暮らしの日々が多かった。
塾講師のアルバイトを始めた大学1年生の頃。仕事でヘトヘトになり、途中で買ってきた屋台のタコ焼きを妹の夕食としてあてがうという、いま思えば兄として恥ずかしい自分もいた。風呂掃除当番をすっぽかし、ソファで寝ている妹に浴びせる小言。そんな私に「ムカツク!」と蹴りを入れてくる空手初段の妹。そうして妹とじゃれあったあと、気づけば自分がほとんど風呂を掃除する毎日(笑)。いつも「嫌だな~」っと思っていたけど、兄弟は二人キリだから、それが日々の幸せだったんだなと今では感じる。急いでつけくわえるけど、そんな妹も、いまでは立派な母親である。
祖母は定期的に手伝いに来てくれるし、週末には父に会えた。伯母も含め、みんな大切な心の拠り所だった。いろいろ相談にものってもらった。だから、夢の中でしかお母さんと会えない陽菜ちゃんとは、とても比較にならない。ケアラーであっても、自分の少年期は恵まれていた。なのに申し訳ないのだけれど、家事を切り盛りする陽菜ちゃんの境遇が自分の過去と重なってみえて、ついつい目頭が熱くなってしまった。
◆ふつうの幸せ
それでも、まだなんとか耐えていた。でも、帆高くんがパトカーの中で陽菜ちゃんの本当の年齢を聞き、「なんだ、自分が一番年上じゃんかよ!」とうなだれたとき、とうとう涙腺が決壊した。
〈陽菜ちゃんはまだ中学生なのに、自分が稼いででも、お母さんとの思い出の家で、毎日の普通の小さな幸せを守り通そうとしていたのか!〉と感極まり、気づいたら号泣している自分がいた。
映画の中の大人たちは、帆高くんの、「神様、できることなら、もうこれ以上、僕たちに何も足さず、何も引かないでください」という、いまの、ふつうの幸せを、とにかく邪魔しないでほしいという願いを受け止める精神的な余裕を、誰も持ち合わせてはいなかった。そんな大人たちの手によって幸せな居場所が決定的に破壊されたとき、陽菜ちゃんと凪くんの幸せを守れなかったと悔いる帆高くんの気持ちも、痛いほどわかる気がした。
◆監督からの戒め!?
近所の大人たちは、陽菜ちゃんと凪くんの状況に気づいておられたのだろう。「自分が面倒をみるから、今の生活をさせてあげて!」と言える経済的・時間的な余裕のある人も中にはいたかもしれない。でも、実際には、遠目に噂話を繰り広げるだけで、およそ1年もの間、誰も二人に救いの手を差し伸べようとはしなかった。
窮地に立つこどもだけの世帯。そんなこどもたちとつながろうとしない大人たち。しかるべき機関とつなげようともしない大人たち。対照的に、ふたりを守ろうとしたのは、帆高くんという高校生だった。
つながりが極度に薄くなり、社会的弱者への感度も鈍っている日本社会。そんな状況のなかで、こどもたちの小さな幸せが奪われる現状に声をあげようとしない私たち大人にたいする新海監督の怒りを、スクリーンを見ながら勝手に忖度し、戒めとして受け取めようとしている自分がいた。