プロレスラー、木村花さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
◆メディアの論調への疑問
小学生だった頃は、祖母とよくプロレスを見ていたけれど、最近はまったく目にする機会がなくなっていました。しかも、『テラスハウス』という恋愛「リアリティー」番組が大人気なんだということも、知りませんでした。それゆえ、訃報に接するまで、木村花さんのことは恥ずかしながら存じ上げませんでした。
それくらい世事に疎く、木村花さんのことを存じ上げなかった私でも、受信した人が傷つくような酷い言葉を匿名で浴びせて平気な人たちに対しては、強い怒りを覚えます。ですが、一方で、誹謗中傷を浴びせたアカウントの人物の特定を簡単にできるようSNS事業者への開示請求をしやすくすべきだ、誹謗中傷を浴びせた人間は厳罰を受けるべきだ、というワイドショーの論調には、ちょっと待って欲しい、そこが問題の本丸だろうか、と疑問を感じてもきました。
◆木村花さんの訃報に接し、最初に覚えた違和感
はじめて木村花さんの訃報に接したとき、私がもっとも覚えた違和感は、木村花さんがここまで追い詰められていたのに、製作スタッフは何も知らなかったのだろうか、メンタルをフォローする体制はきちんと整えられていたのだろうか、という点でした。もし、きちんと出演者を支える仕組みが整っていれば、木村花さんの死因が自殺らしいとわかった直後、放送しているフジテレビや番組制作者からは、すぐ、守り切れず本当に申し訳なかったという声が聞こえてくるはずだと思ったからです。でも、フジテレビも番組制作者からも、そういった声はなかなか聞こえてきませんでした。
おかしいなと思っていたら、製作スタッフの声を記事にしたネットニュースにようやく出会ったのですが、それを読んで、愕然としました。『NEWSポストセブン』の「テラハの暴走、現役スタッフが告白 泥臭い人間模様を狙う」という記事です(※1)。
◆制作サイドが煽っていた!?
愕然としたのは、「リアリティー」番組のはずなのに、演出があり、テイク2、テイク3と撮影されていた、という事実ではありません。「リアリティー」番組がリアルでないのは、当然だと思うからです。そうではなくて、番組の編成が、木村さんへの中傷を煽りかねないものとなっており、むしろ制作サイドが木村花さんを追いこんでしまっていた、という事実に驚愕したのです。
記事では、現役スタッフの方が、こう証言しています。
「彼女が命を落とすまで、SNSでの誹謗中傷と真剣に向き合おうとしなかった。いまさら…いまさらなんですが…本当に申し訳ないと思っています」
「出演者同士の衝突が期待通りの結果を生まないと、SNSで誹謗中傷を始める視聴者や、それに同意する視聴者が心ない言葉を拡散し始めたのです。当然、出演者たちは傷ついていきますが、SNS上での注目度が上がっていくことを喜んだわれわれは、目を背けていたところが少なからずありました」
そして、木村さんのコスチューム洗濯事件がSNSで注目されたのをよいことに、5月に入って、同事件のその後と称し、第2弾、第3弾が放送された・・・。どう割り引いてみても、制作サイドが木村花さんへの誹謗中傷を煽ってしまっていたように思えてなりません。
◆順番を間違えたように思える制作サイドの姿勢
それにもかかわらず、木村花さんのメンタルにたいするフォローをしていた形跡がない。この事実に、私は心底おどろくのです。
自分が非難を受ける覚悟を決めた、勇気ある告発だとは思いますが、いくらいまさら反省されても、木村花さんは帰ってきません。だからこそ、このように思うのです。
どれだけ事実に近づけようと努力している社会派のドキュメンタリー番組であっても、完全なリアリティーは存在しません。映画監督の森達也さんが仰っているように、どんな映像作品であっても、かならず、製作者の伝えたい思いによって事実が切り取られ、意図が通じるように構成されているのです(※2)。ましてや、『テラスハウス』のように面白おかしくするための製作者の演出がある番組では、演出によって出演者が心ない言葉を浴びる可能性があるのですから、メンタルのフォローは必須の仕事だったはずです。そうでなくとも、今回の場合、木村花さんが心ない言葉を浴びている事実を把握していたのならば、ますますの誹謗中傷を煽るような番組構成は、人間として絶対してはならなかったし、すぐさまのメンタルのフォローに、最大限努めるべきだったと思うのです。
それなのに、制作サイドが優先したのは、番組がよりいっそうの耳目を集め、視聴率を上げるための番組編成だった。そして、木村花さんへSNS上で誹謗中傷が集まっているという事実を、見て見ぬふりをした・・・。もしスタッフの方の証言が事実だとしたら、怒りを禁じえません。
◆私たちが一番に考えるべきこと
誹謗中傷は、絶対に許せません。しかし、製作者が煽るような演出をしなければ、視聴率を上げるため、さらに煽るような番組の続編を作らなければ、誹謗中傷のほとんどは、存在しなかったはずなのです。そうすれば、木村花さんが、演出によって「怒った」にもかかわらず、その真実が伝わらないまま誹謗中傷を浴び続けるという事態は起こらず、木村花さんが自ら命を絶つという悲しい現実も生まれなかったはずなのです。
そう考えると、今後、同様の悲劇を繰り返さないために必要なのは、ワイドショーで突き上げられているように、SNS事業者への開示請求を簡単にするという方策が第一では「ない」と思います。むしろ、誹謗中傷を産み出した製作者サイドの姿勢の何が問題だったのかを問い、出演者が傷つくような演出や煽る番組構成がなされないよう、映像作品制作者自身の遵守ルールを決めることこそ、必要な方策のはずです。視聴者やメディアには、そのように事が運ぶよう注視し発言し続けることこそ求められるのではないか、と思えてなりません。
あらためまして、木村花さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。どうか、安らかにお眠りください。
【注】
(※1)記事のURL https://www.news-postseven.com/archives/20200527_1566605.html
(※2)森達也著(2010)『極私的メディア論』創出版