◆「37.5度で4日間」は、基準ではなくて「目安」!?
私、ブログ記事になるかもしれないと思った日ごろの出来事を、なるべくメモするよう心掛けている。1か月ほど前のニュースを見ながら、〈政府の基準が独り歩きしてしまって、被害者が報われない状況になるのは公害と一緒じゃないか!〉と気づき、メモしていた。そのきっかけは、厚労大臣の「目安ということが、相談とか、あるいは受診の一つの基準のように(とらえられた)。我々から見れば誤解でありますけれど…」という発言である(※1)。目安とは「PCR検査の相談は、37.5度の発熱が4日続くかどうかを目安に」という、政府からさんざん聞かされてきた、あの基準(?)だ。
目安であって基準ではなかった、というのは実体験からみてもおかしい。私のパートナーK子さんは、実際に相談センターに電話して、この「37.5度で4日間」という目安(?)と「海外渡航歴があるかどうか」という基準(?)により、PCR検査を断られた。首相がすでにできる限り検査を実施するよう指示したあとの、3月下旬の話である。
そもそも、基準と目安という言葉が類義語なのだから、とても苦しい言い訳だけれども、もしも本当に言いたいことが誤解されていただけだというならば、全国の保健所や厚労省の相談センターそのものが、国民よりも先に誤解していたという話になる。そうじゃないと、全国で、この「目安」に照らして検査が拒否され続けた流れの説明がつかない。実際、一国民のK子さんは、37.5度に届かない微熱が1週間ほど続き、〈もしかしたら・・・〉と思って電話したのだけれど、誤解ぶくみの(?)「目安」で断ってきたのは、当の相談センターのほうだったのだから。
◆コロナ疑いの基準を「目安」だと言い張る理由
厚労大臣が目安を引っ込めたのは、37.5度の熱があるのに4日間我慢し、重症化したり死亡したりした新型コロナウイルスへの感染患者さんが出てしまったからではないかといわれている。国の基準のせいで健康を害した場合、賠償責任が発生しかねないからだ。
厚労省は、「37.5度で4日間」のほかに、「強度の息苦しさ」という「目安」も設定していた。しかし、『New York Times』の記事によると、新型コロナウイルスは、血中酸素濃度を測ってみるとけっこうやばい水準なのに、本人にはまったく自覚症状がなく、突然重症化する場合が多いらしい(※2)。
そうした現実が明るみになった以上、「37.5度で4日間」過ぎ「強度の息苦しさ」がある場合という「目安」をいつまでも設定していたら、責任問題が発生してしまう。そう嗅ぎ取ったからこそ、実際には基準の取り下げであるにもかかわらず、基準を「目安」と言いかえ、国民の勘違いに問題をすり替えてまで、自分たちに非はなかったという姿勢を貫いたのではないか。そう思えてならないのである。
◆独り歩きする、間違いだと認められた「基準」
水俣病の場合、方法的には逆なのだけれど、コロナ問題と同じように、政府の基準により被害者が見捨てられるという現実があった。下の表を見て頂きたい(※3)。
当初、水俣病であるかどうかの診断基準は、5つの症状のうちどれかひとつに該当していればよかった。ところが、石原慎太郎環境庁長官のとき、基準が厳格化され、2つ以上の症状を伴っていないと水俣病とは認めない、と改められてしまった。その結果、水俣病なのに、認定されない患者さんたちが続出した。「水俣病なのに」とここで言えるのは、2004年、水俣病関西訴訟の最高裁判決が出され、西村肇さんと岡村達明さんの研究(※4)により、水俣病の原因物質は有機水銀であり、国の認定基準は厳しすぎるという判決が下されたからである。
しかし、当時の小池百合子環境省は、司法権力と行政権力の判断は別だとし、この厳しい基準を見直そうとはしなかった。患者さんたちが水俣病の認定を勝ち取るのは、いまだに高いハードルとなっている。
◆共通点=金科玉条と化した「基準」に見捨てられる患者さんたち
コロナ感染の基準の撤回により、基準を守って重症化した被害者が見捨てられ、責任が問われないという現実。一方、基準の厳格化により、水俣病であるはずの被害者が見捨てられ、補償を受けることができなかったという史実。これらは、実態に即していないにもかかわらず、金科玉条として独り歩きした基準に「該当しない」とされた本来の被害者が救済されず、基準を示したはずの国が責任を取ろうとしないという点で、残念ながら共通している。
【注】
(※1)「加藤厚労大臣 相談目安「我々から見れば誤解」発言にネット怒りの声「ふざけるな」「酷い」」2020年5月8日『Daily』記事(https://www.daily.co.jp/gossip/2020/05/08/0013328878.shtml)。
(※2)「コロナ「突然重症化した人」の驚くべき共通点」2020年4月24日『東洋経済Online』記事(https://toyokeizai.net/articles/-/346423)。
(※3)澤 佳成(2010)『人間学・環境学からの解剖 人間はひとりで生きてゆけるのか』梓出版社、81頁。。
(※4)岡本達明・西村肇(2001)『水俣病の科学』日本評論社。
(2020年10月28日7時23分、最初の段落を修正)