◆水俣病
故・細川一医師。細川医師は、はじめての水俣病患者が担ぎこまれたときの、チッソ附属病院長だった。チッソ水俣工場の排水が原因ではないかと疑われる中で、細川医師は極秘のうちにネコ400号実験を始めた。工場の排水を餌に含ませ、飲ませ続けたある日、突然、ネコ400号が痙攣を起こした。その症状を見て、細川医師は水俣病の原因がチッソ水俣工場の排水だと確信した。しかし、会社内の軋轢のなかで、実験結果を公表できないまま、細川医師はチッソ附属病院を去った。そのことが心に引っかかっていた細川医師は、晩年、弁護士からの依頼に応じ、病床で裁判官の出張尋問を受け、チッソ附属病院長だった頃の経験を話し、水俣病熊本訴訟で原告(患者さんたち)が勝訴する原動力となった。
細川医師だけではない。チッソ水俣工場には、プラントを操業する前の実験段階で、排水が吹きこぼれるのをみて改良を進言した技術者もいた。工場長秘書は、漁師とともに海の状況を調査し、工場長に進言した。地域に迷惑をかけてはいけないともがいている人は、決して少なくなかった。しかし、トップは操業開始を決断。水俣病が発生した。何とかしたいと行動していた社員さんたちほど、漁民と会社の方針との間で板挟みになったという現実。どれほどの苦悩が、社員さんたちを襲っていたのだろう。
◆福島原発公害
福島県内の、高濃度の放射性物質が雨とともに降り注いだ地域で代々農業を続けてきた人たちは、生活の術を一瞬にして失われた。その放射性物質が東京電力福島第一原子力発電所から放出されたのを疑う人はいない。それは、東電の社員さんも同じである。
福島県農民連の根本敬さんの講演を拝聴し、どうしても福島に行きたくなって直接お話を伺った。根本さんたちの農業グループは、公的につくられた組織に賠償を一任せず、自分たちで直接交渉する道を選んだ。窓口となる社員さんと直接、話をする。毎年どれくらいの農作物を、どれくらい作っていたか。農業が、自分たちにとってどういう意味を持っていたのか。それをわかってほしい。根本さんたちは熱く訴え続けた。窓口となる社員さんも、人間である。農家の人たちの切なる思いに心が動かされないはずがない。だから、本気になって上司と掛け合ってくれる。上手くいったときは一緒に歓び、上手くいかなかったときは、申し訳ないとうなだれる社員さんを慰める・・・。根本さんたちは、3・11以降ずっと、そういう日々を送ってこられたのだという。
◆そしてコロナ。
公害問題には、たしかに加害-被害の構図がある。けれども、みてきたように、加害側の組織のなかでも、様ざまな葛藤がある。組織は人間がつくるものだから、当然といえば当然なのだけれど、そこに共通しているのは、加害組織の中で、方針を決定するような立場になく、地域の被害者と交わる中間的な立場の方たちほど、人間としての深い葛藤に苛まれる可能性が高い、という側面である。
新型コロナウイルス問題でも、同じような構図があったんだと思う。地域の人たちに寄り添おうと思う保健所の職員さんほど、なんとか検査を受けさせてあげたいという気持ちは強かったに違いない。しかし、そうであればあるほど、公的な方針、すなわち、のちに厚労大臣によって目安に過ぎなかったとされたけれども、当時は絶対的なものとして君臨していた「基準」からそれることになる。なかには、所長に直談判した方もいらしたかもしれない。普段の業務をはるかにしのぐ仕事量が襲ってくる中で、中間的な立場に立たされ、そのように苦労された保健所の職員さんがたくさんいらっしゃるのではないかと思うと、なんだか胸が苦しくなる。当時、何とかしようとしていた保健所の職員さんは、厚労相の「あれは目安だった」という言葉を、どういう思いで聞いていらしたのだろう。
◆苦悩を解消するには
このように、中間的な立場の方たちの苦悩を解消するには、ふたつの方法が考えられる。トップによる英断か、あるいは、組織に属する人たちがお互いに意見し、よりよい方針を話し合うボトムアップ型の組織であるか、のふたつである。前者は、国民が権力を賢明な君主に移譲する統治をよしとしたホッブズ的な組織のあり方、後者は、なるべく小さな共同体のなかの直接的な意見交換で、よりよい方向性を見出すべしとしたルソーの理想とする組織のあり方だといえる。私自身は、どちらか一方では、組織は良くならないと感じている。いい組織って、まず、成員のだれもがよいと思った意見を自由に述べ、みんなでよりよい方向を探ることができる風土があると思う。加えて、そうした実践を許容しながら、あがってくる意見をもとに判断できるトップがいるのも条件だと思う。いわば、ホッブズとルソーの理想とした、組織のあり方の合体型である。
感染を局所的に抑えた和歌山県、いまだに感染者ゼロで押さえている岩手県、なるべく多くの県民に検査を届けようと尽力する鳥取県などの取り組みは、県知事の英断として語られているけれど、たぶん、これらの県では、そうとうな数の専門家や現場の声をふんで、練りに練った対策が取られてきたのではないかと、そして、知事は、そうした意見を尊重しながら判断を下されたのではないかと、勝手ながら感じている。
これら3県では、保健所の職員さんたちの葛藤は、おそらく、現場から悲鳴が上がっているのを無視してやっている感を出しているトップのいる地域の職員さんたちより、はるかに少ないのだろうと推測される。新型コロナウイルスの第2派、第3波がくるかもしれない状況のなか、私たち国民の多くを救えるのは、中間的な立場にいる方たちが、いかに自主的に判断できるような態勢を組めるかにかかっている。相手の状況をいちばん間近で見る人たちの判断を尊重することが、混乱を防ぐいちばんの近道だと思うから。そのためにも、先にあげた3県の知事や、先進的な取り組みをしている自治体の長のみなさんに、もっと声をあげてほしい。そうすれば、中間的な立場の方たちが理不尽な怒りに晒される可能性も、グッと少なくなるんじゃないかな、と思う。