◆海水温の上昇と豪雨災害
7月14日の【災害から考える1】の記事で、『現代思想』の若林さんの論文から気候変動に関する知識を得たと書いた。さらに知りたくなったので、気象庁の報告書などをあさってみた。
近年頻発している豪雨は、地球温暖化による海水温の上昇が要因だといわれている。7月14日に記した通り、1990年代は93年の鹿児島豪雨が1回だけ、2000年代は04年・06年・08年の3年の間にだけ豪雨災害が集中していた。気象庁のホームページを見ていてさらに分かったのは、2010年代の後半、すなわち2015年から昨年(2019年)までの5年間では、16年を除いて毎年、豪雨災害が発生しているという事実である。さらに驚いたのは、15年から19年にかけての日本近海の海水の温度が、統計史上、歴代1位から5位までを独占しているということだ。このような現実は、地球の温暖化が海水温を上昇させ、気候変動をもたらしているという説を強く裏付けている。
そうやっていろいろ調べているうちに、こんどは山形県で最上川が氾濫してしまった(被害にあわれた皆様に、心よりお見舞いを申し上げます)。
◆豪雨災害の被害を抑える策
被災地でのインタビューをテレビで見ていると、「いつかこの地域でもこういう日が来るのではないかと思っていた」とお話しされる方が多いのに気づく。たしかに、豪雨災害は毎年のように起こっているから、いざというときの心構えはとても大切だと思う。でも、私たちは、その原因が地球の温暖化によるらしいことを分かってもいる。そうであるなら、ふだんからの心構えと併せて、何らかの策を講じていく必要もあるのではないか。そう思うのだ。
考えられる1つ目の策は、二酸化炭素を吸収してくれる森林を保護したり、産業活動による二酸化炭素の排出量を減らしたりする取り組みである。この点については、次の【災害から考える3】以降で取り上げたい。
2つ目の策は、治水のあり方の見直しである。つまり、水という自然の猛威を、堤防のような人工物によって抑え込めるという近代志向の抜本的な見直しである。昨夜、とてもお世話になっている農業工学の先生から電話がかかってきて、その必要性に気づかされた。先生は、昔の河川は人の住んでいないほうの岸が低くなっていて、水があふれても被害が最小限になるよう工夫されていた、それが明治時代になってから、堤防を高くしさえすれば水害を抑え込めるという発想で政策がたてられてきたものだから、おかしくなってしまったのだと熱く語られた。
◆水を逃がす
そして、電話をしながら、東京工業大学名誉教授の桑子敏雄先生がいつも強調されていらしたことを思い出した。桑子先生は、おなじ環境哲学がご専門の大先輩である。思い出したのは、その桑子先生が、ご著書『風景のなかの環境哲学』(東京大学出版会、2005年)のなかで、かつての日本の治水は、被害を最小限に抑えるため川の水をいかに分散させるかという知恵の結晶だったと記されていたことである。
桑子先生の本が出版された翌年の2006年、小学校6年生から中学卒業までを過ごした第2の故郷、鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)で豪雨災害が発生、川内川が氾濫した。幸い友人たちは無事だったものの、洪水が街を襲い、甚大な被害が発生してしまった。
だいぶたってから桑子先生に直接伺ったのだけれど、先生は、なんと、そんな被害を受けた私の第二の故郷に招かれ、同じような水害が起きないようどうすればいいか議論を進められていた。そして、水量が多くなった時、蛇行している部分に水が滞留しないよう分水路を築くよう提案され、実行されていた。
いま必要とされているのは、そのように水をうまく分散させ、場合によっては人が住んでいないところに水を一時的に逃がし、被害を最小限にするという、かつての日本の知恵なのではないか。被災地の惨状に心を痛めながら、桑子先生のそうした言葉を思い出していた。