昨日のブログで記した、日本には本当に人種差別はないのだろうか、という問いは明日以降に考えるとして、今日は、私自身の懺悔を聞いてください。
二男、長女がそれぞれ6~7歳のころ。ふたりに共通する親子のやり取りがありました。
身体障がい者の方とすれ違いざまに「あの人、動きへんだね」と言ってきたのです。
それにたいし、私は、「世の中にはいろんな人が生きているんだよ。Bくん(Cちゃん)だって、けがをするかもしれないんだよ。それなのに、今みたいに『変だ』と言われたらどう思う?」と諭し続けました。
そうした対話を続けてきたので、いまでは、ふたりとも見た目で人を区別しない人間に育ってくれていると信じていますが、小さい頃の二人の、この何気ない言葉は、私たち大人にある問題提起をしているように思うのです。それは、ふだん触れ合ったことのない人への恐れや違和感というのは、差別につながる前段階の、看過できない人間としての感情なのではないか、という懸念です。
私自身、障がい者の方たちと本格的に交流をさせて頂き始めたのは、21歳になってからでした。それまでは、困っている障がい者の方を街で見かけたら、ドアを開けたりすることはありましたが、それ以上に関わろうとはしていませんでした。自分から壁をつくっていたわけです。
でも、いざふれあってみると、いつの日かブログで記したとおり、みなさん、自分と全く同じ人間なのだと気づかされたのです。壁をつくっていたのは自分じゃないか。なんで今まで関わろうとしなかったのか。自分を責めました。
ここからが、一生忘れてはならない私の懺悔になります。
障がい者の方たちとは何か壁を感じているだけでしたが(実際には自分が壁をつくっていたわけですが)、若いころの私は、明確な差別意識に侵されてしまってもいました。
2001年。鹿児島市のボランティアセンターで、ボランティア団体の代表者の会合がはじめて開かれました。ホームレスの方がたを支援する団体を立ち上げたばかりの代表の方も参加されていました。
その会合で私の発した言葉は、今でも反省すべきものとして、忘れることはできません。
「なんでホームレスの人たちを支援するんですか? 必要ないんじゃないですか?」
そんな若造のひどい言葉にたいし、ホームレスの人たちは、社会的な問題によって家を失っただけだということ、けっしてその人だけに責任があるのではないのだというお話を、代表の方はしてくださいました。でも、「働かざる者食うべからず」という「常識」に染まっていた当時の私は、そのお話の意味の重大さを、まったく理解できていませんでした。
でも、それから格差社会が問題となり、環境破壊をもたらす経済構造の研究も深めていくなかで、私のその考えがいかに偏見に満ちたものだったのか、思い知りました。後悔しました。だから、いつ書いたかは忘れてしまいましたけれども、このブログで記した通り、街中にいらっしゃるホームレスのおじちゃんに差し入れをしたりもしました。
でも、過去に自分が持っていた偏見は消えません。
本当に恥ずかしいです。
懺悔の気持ちでいっぱいです。
後悔しかありません。
どうかお許しください。
そんなひどい私でも、少しは壁を乗り越えられたのではないかと感じる身として、ちょっぴり思うことがあるのです。こうした偏見が、差別へとつながり、そして恐れ、敵意へと転化していくのではないか、と。
でも、そのきっかけは、かつての私自身がそうであったように、偏見を持つ側が自ら作った壁が、相互理解を阻んでしまうという悲しい現実によるのではないか、と思うのです。
そうした壁は、人種や民族の区別によっても生じえます。日本の中には、人種や民族を要因とする差別は、ほんとうに存在していないのでしょうか?
冒頭でも述べた、昨日来のこの課題については、明日から順に考えていきたいと思います。