◆有珠山が噴火!
9月12日のブログで、河川の氾濫によって床上浸水したお宅の清掃ボランティアについて記したけれど、火山の噴火災害でも土砂と格闘した思い出がある。
2000年3月31日、北海道の有珠山が23年ぶりに噴火した。テレビ画面を見て、何かしなくちゃと思い立ち、人生初の、本格的なボランティアに参加した。先立つものがなかった私がバイトでお金をためて参加したのは、それから少し経った5月中旬からだった。あとになってから考えてみたのだけれど、このとき自分を突き動かしたのは、1991年、中学1年生のとき、雲仙の普賢岳災害をテレビ画面にくぎ付けになって見ているだけで、何もできなかった悔しさだったのかもしれない。
有珠山は20~30年おきに必ず噴火してきたのだけれど、このときの噴火は、河口からではなく山腹からだったため、火山灰だけでなく、山の土砂や岩石も洞爺湖温泉街を襲った。だから、鉄筋コンクリート造りの町営住宅であっても、噴石によって突き破られた天井の穴から、土砂が入りこんでしまったのだ。
◆家財道具搬出作業:噴火口近くの住宅へ
時間が経って、もう大規模な噴火は起きないだろうと専門家によって判断されてから、被災地域の住宅から家財道具を搬出する作業が始まった。噴火がおさまり、住民のみなさんが日常を取り戻されたときに備え、使えそうな家財道具を取っておくのである。でも、道路は土砂で埋まっていて、とてもじゃないけどトラックは走れない。そこで活躍したのが、自衛隊の装甲車だった。
住民の方と自衛官だけでなく、町役場の職員、レスキュー隊員、警察官も一緒に乗り込み、現場へ向かう。上の写真は、そのときにとった街の風景である。
現場の町営住宅から、このときの噴火であらたにできた火口までは200メートルくらいしか離れておらず、つねに蒸気をあげていた。しかも、リズムよく「ドーン」「ドーン」と地鳴りもしていたから、生きた心地がしなかった。でも、専門家の判断を信じ、腹をくくるしかなかった。家主さんの指示を受けながら、とっておく家財道具や思い出の品を搬出していった。
◆自衛隊にかかっている制限
このとき、はじめて知ったことがある。自衛隊員のみなさんは、法律上の問題から、宅地内に入ることができないのだ。
今年7月の豪雨災害のニュースでも、この点が話題になっていた。
たしかに、自衛隊のみなさんが宅地に入れたら、土砂を一緒に搬出してくれたら、被災地の方がたにとって、どれだけ助けになるだろう!
けれど、ときの権力者の思惑によっては、自衛官が心ならずも民間(人)に危害を加えうる実力装置を持っているのは確かだから、制限をかけておかなければならないという法のルールの趣旨もわかる。
◆「災害レスキュー隊」構想
そうであるなら、自衛隊とは別に、災害レスキュー隊を創設してはどうだろうか?
拙著『新潟震災ボランティア日記』でも記したことだけれど、これは、学部生時代、早稲田大学教授の水島朝穂さんが『武力なき平和――日本国憲法の構想力』(岩波書店)の中で示されていた構想で、いまでも心に残っている。
だいぶ前、政府の解釈改憲に納得がいかない自衛官がたくさんいるという報道に接したことがあるのだけれど、災害専門の救援部隊を創設すれば、そうした苦悩を抱えているみなさんの有力な転職先にもなり、一石二鳥とはならないだろうか。
災害救援に参加された経験のある自衛官の方から、災害救助は訓練も少なく、専門でもないので、なかなかうまくいかず辛かった、というお話を伺ったことがある。災害レスキュー隊ができれば、自衛隊は国防だけを担えるし、災害レスキュー隊のみなさんは防災を専門とすることができるから、そうした苦悩から自衛官のみなさんを解放することができる。
一考に値する構想だと思う。