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1、11月7日。
先週末、とある学会の研究大会があった。
7日土曜日の午前中。10時から12時までのテーマ別セッション「環境思想部会」に参加していたら、11時ちょっと前に妹から電話があった。
研究大会はオンライン開催だったので、電話に出ることができた。
「お父さんからメールが来てる。おばあちゃんが、おばあちゃんが・・・!」
電話の向こうで、妹が泣いていた。
「いま学会の最中だから、また後で連絡するね」と電話を切ったあと、携帯を確認してみると、祖母の訃報を知らせる父からのメールが届いていた。
激しく動揺した。
〈もう、おばあちゃんの笑顔を見られないんだ・・・〉
〈今日が、おばあちゃんの命日になるんだ・・・〉
◇◆◇◆◇
2、あたたかさにふれる
勝手に涙があふれ出してきて、学会への参加どころではなくなった。
議論に参加していた環境思想部会のやり取りも、ただただパソコンから音声が流れるだけになってしまい、内容がまったく耳に入ってこない。
〈はやく、帰省する段取りをしなくては・・・。〉
〈でも、大会2日目(8日)のお昼休みを利用したラウンドテーブル「気候危機にどう立ち向かうか」で、話題提供を引き受けているんだった! どうしよう・・・〉。
世話役と司会の両先生にご相談したところ、事情を斟酌頂き、快く代読をお引き受けくださった。
お二人のあたたかさが、悲しみ一色になっていた心にしみわたった。嬉しかった。
その後、K子さんと電話で協議し、翌日の便で帰省することになった。
それからは、夜に作ればいいやと思ってサボっていた報告用パワーポイントの完成を大急ぎで目指しつつ、合間に、家族全員分の飛行機の予約、宿の予約を済ませた。
代読いただく原稿を完成させたときには、もう夜中になっていた。
◇◆◇◆◇
3、布団の中で浮かんでくる思い出
旅行の準備をしたあと、午前様になってから布団にもぐりこんだ。
横になれたのはよかったのだけれど、いろんな思い出が頭の中でもたげてきて、なかなか寝付けなかった。
小学2年生の夏休み。田舎にあった亡き曾祖父のお家で、祖母、妹と1か月過ごした。そのあと自宅に戻ってみたら、母親がいなくなっていた。それから4年生までは、亡き伯母が私と妹を育ててくれた。 この間、高校生だった従兄には、いろいろと迷惑をかけてしまった。
5年生になって父と暮らし始めて以降は、祖母が1年の半分ほど泊まり込みで来てくれるようになり、私たち兄妹を育ててくれた。
祖母は、誰よりも早く起きて、毎朝、あたたかいご飯を用意してくれた。
新学期、学校にもっていかないといけない雑巾を、いつも縫ってもたせてくれた。
いつのことだっただろう、大正生まれの祖母は「尋常小学校を出てから、神戸や熊本に奉公に出ていたんだよ」と教えてくれた。
〈いろんな苦労をしながら、奉公先で必要とされることを覚えていったんだろうな。もっとこのときの話を聞いておけばよかった。〉
後悔先に立たず・・・。
〈そういえば、おばあちゃんはテレビでのスポーツ観戦が好きで、小学校の頃は相撲、巨人戦、プロレスをいつも一緒に観てたっけ。ロッテオリオンズが好きだった自分には、巨人戦は苦痛だったな~。〉
そうやって思い返してみると、母親がいない私にとって、祖母は母がわりだった。
一緒にいると、心から安心できる、あたたかい太陽のような存在だった。
〈おばあちゃん、育ててくれて、見守ってくれて、ほんとうにありがとう。〉