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1、親としての最低なふるまい
ナナちゃんの死について、正直に話してくれたCちゃん。
とても勇気が行ったに違いない。
それなのに私は、Cちゃんを強い口調で詰ってしまった。
「なんですぐみんなに言わないの!」
「すぐ言ってくれたら、助かったかもしれないじゃない!」
「無理だったとしても、みんなでナナちゃんを見送れたかもしれないのに!」
そして、ナナちゃんの寝床をタオルで作り、ティッシュをかけて手を合わせた後、年が明ける直前だったのだけれど、強制的に電気を消し、「みんなもう寝るよ!」と怒りに任せてふて寝してしまった。
羽根をカットされているナナちゃんは、自由に飛べなかった。
自由に飛べるようになるまで、生きていてほしかった。
バタバタ飛んでいるナナちゃんと、たくさん思い出を作りたかった。
そうした思いと悲しみがごちゃ混ぜになってしまい、怒りに任せて怒鳴りつけてしまったのだ。
でも、本当なら、溺愛していたCちゃんが、いちばん悲しんでいるはずなのに・・・。
布団をかぶりながら、心の中で、やり場のない怒りが激しい後悔へと変わっていくのがわかった。
◇◆◇◆◇
2、図星の指摘
夜が明けて、元日の朝になった。
Cちゃんが恐る恐る「おはよう」と言ってくれたのに、「ふん!」と無視。
親として最低だ。わかっている。でも、なかなか素直になれない。
そうしてまだプンプンしている私を見かねたK子さんの説諭が始まった。
「Cちゃんは、わざとナナちゃんを死なせたわけじゃないんだよ。」
「Cちゃんがいちばん悲しいと思うよ。」
「ナナちゃんの亡骸を隠してしまったのは悪いことだけど、まだ小学2年生なんだから。」
「佳成さんだって、モモちゃんをわざと逃がしたわけじゃないでしょ? みんな責めずに許してくれたでしょ?」
「今のままの態度でいいの?」
そう、私は最低な親だ。夜中に布団のなかで後悔してから、もうとっくにわかっている。
K子さんの指摘は、私の心のなかの、自分の振る舞いを責める理性の声と、まったくおんなじ。
私はほんとうにひどい親だ。
◇◆◇◆◇
3、赦し
でも、いざ図星の指摘をされると、素直になれない。
「いや、私はモモちゃんを逃がしてしまっただけで、死なせてはいない。」
「私の場合は、すぐ正直に話したでしょ?」
と、まるで駄々っ子のような屁理屈を並べながら応戦。
だけれど、だんだんK子さん、長男、二男の正論に押し込まれ、明らかに不利な撤退戦が続く。
そしてついに逃げ場がなくなり、とうとう「わかった」としぶしぶ了解。
Cちゃんに言った。
「昨日の夜は厳しく言い過ぎちゃった。ごめんね。」
Cちゃんはうなずいて、「ごめんなさ~い!」と泣きじゃくる。
私も涙が止まらなくなった。泣きながらCちゃんを抱きしめた。
〈ああ、なんてひどい親だ。こんな親を赦してくれてありがとう〉と思いながら。
◇◆◇◆◇
4、ナナちゃんが教えてくれたこと
こうして、ナナちゃんもまた、モモちゃんと同じように、家族になってから1か月余りで旅立ってしまった。
2020年の三元日は、喪に服す3日間となり、家の中が暗い雰囲気に包まれた。
でも、ナナちゃんには心から感謝したい。
ナナちゃんは、自分の死とひきかえに、私に対し、親として持つべき大切な矜持を教えてくれた。
そして、ほんの少しかもしれないけれど、私を親として成長させてくれた。
そんなナナちゃんの死を無駄にしないためにも、このとき覚えた、親としてのあるまじき行為と反省を胸に、これからも、こどもを温かく見守れる人間になるよう、精進しなくては!