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今週の後半も忙しく、なかなか更新できませんでした。今日は久しぶりの更新ですが、書き溜めておいたインコのお話の続きです。
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1、育児放棄
深い悲しみと同時に、激しい怒りが湧いてきた。そして、まだ2歳のDくんに向かって、「どうして踏んづけたの!」と、勢いに任せ何度も怒鳴りつけてしまった。
Bくんにたいしても「なんでDくんからコントローラーを取り上げたの!」と激しくなじる私。
「いや、とりあげたんじゃなくて、一緒にやろうとしただけなんだけど・・・」
力なくそう釈明するBくん。
「だったら、Dくんが怒って行ってしまったとき、なんであとを追いかけなかったの! 結局自分がゲームしたかっただけなんじゃないか!!」
言い返せなくなるBくん・・・。
そんな姿勢ではいけないよ、父親が怒り狂っていても、だれも止められないんだからよくないよ、と理性の声は語りかけているのに、モモちゃんを手のひらで看取った衝撃が大きすぎて、5分くらい、怒りに任せて怒鳴り散らし続けた。
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2、最低な行動
そして、身体が硬直していくモモちゃんをタオルに寝かせ、「ごめん、今日はDくんのお世話をする気になれない。みんなでみてあげて」と、およそ親とは思えない言葉を上の子たちに投げかけた。
実際、この日、私は、上のこどもたちにはできないうんちのオムツ交換をしただけで、それ以外の育児を放棄してしまった。
またしても、家族の一員となったインコが昇天したときにとってしまった、親としての最低な行動・・・。
怒りに任せた私の叱責を前に、2歳のDくんは、ただただ泣きじゃくるだけだった。
教育学者の故・霜田静志さんが『叱らぬ教育の実践』(黎明書房)で指摘されているように、叱責という方法は、親から子へ伝えたいことが一番伝わらない、最悪なコミュニケーションである。
頭ではわかっていたけれど、止められなかった。
でも、本当は、自分がいけなかったのだ。
ゲームに集中させているうちに仕事をしようなんていう、姑息な考え方をしたのだから。
そして、テレビ画面にみんなが集中するときは、モモちゃんを絶対にかごに入れておこうと決めたルールを破ってしまったのだから。
私は、親として、人間として、ほんとうに最低だ。
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3、和解
実は、モモちゃんⅡ世が家に来たとき、まだナナちゃんが天国に召されたばかりなのに、あまりにも早すぎるのではないかとひとり思っていた。
また、モモちゃんⅠ世と瓜二つだったので、思い出がよみがえり、最初のうちはモモちゃんⅡ世を心から可愛がれない自分がいた。
でも、ぜんざい火傷事件があってから、なんとかモモちゃんのいのちを守らなければ、と思って看病しているうちに、自分の気持ちが変わっていくのがわかった。
後遺症は残ったけれど、全快してからは、たぶん家族のなかでいちばん一緒に過ごしたのが私だった。
それだけに、悲しみと怒りが深くなってしまった。
でも、だからといって、怒りに任せて子どもを叱責していい理由にはならない。
「いちばんかわいがっていたから気持ちはわかるけど、Dくんときちんと話さなければならないよ。」
K子さんのその言葉に、同じ過ちが2度目の今度は、素直にうなずく。
でも、私がDくんに「ごめんね!」と言えたのは、次の日になってからだった。
泣きながら謝る私にたいし、バツの悪そうな、でもおどけて見せるような絶妙な顔をしているかわいいDくんを思いっきり抱きしめ、ハムハムした。
「Dくんのことをきちんと面倒みてなかったオレも悪い。パパ、ほんとごめんね。」
そう言ってさめさめと泣き出したBくんとも、「パパも悪かった」と抱きしめ合った。
〈いつも思うけれど、子どもたちのほうが自分よりはるかに大人だな~〉と内心つぶやきながら。