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1、自然災害被災者への支援拡充へ
もう2週間前になるけれど、11月21日付『東京新聞』の「被災者再建支援改正法案成立へ 上限300万円据え置き」という記事が目に留まった。災害ボランティアに参加したときの思い出が、蘇ってきたからである。すぐに〈あのときの思いをブログに綴っておきたい!〉と思いはしたけれど、忙しくてなかなか叶わなかった。そこで、21日の新聞を引っ張り出して読み直した。
記事によると、改正案の重要なポイントは、これまで同法が支援対象としてきた、住宅が「全壊」した世帯への支援区分(損害割合50%以上/150~300万円)、「大規模半壊」した世帯への支援区分(損害割合が40%以上50%未満/100~250万円)に加え、「中規模半壊」した世帯への支援区分(損害割合30%以上40%未満/25~100万円)が新たに新設されたという部分である。
この【災害から考える】シリーズの記事でも注目してきたけれど、豪雨災害を中心に自然災害が増えてきているから、この改正案については素直に喜んだ。でも同時に、できることなら、将来的にもっともっと制度を拡充してほしい、とも感じた。
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2、ほんといいお湯の洞爺湖温泉街
そう思ったのは、支援を拡充しないと、とくに地方の場合、コミュニティの維持が難しくなり、過疎化に拍車がかかってしまうと思っているからである。
2000年3月に発生した有珠山噴火災害。9月18日の弊ブログ(【災害から考える10】「災害レスキュー隊」構想)で記したとおり、虻田町で災害ボランティア活動に参加したのだけれど、東京新聞の記事を見ていて、このときの記憶がよみがえってきた。
当時、みのもんたさん司会の「愛の貧乏脱出大作戦」という番組があった。でも、テレビ東京の番組だったから、私の郷里では深夜に放送されていた。でも、やる気はあるけどなかなか波に乗れない飲食店や旅館・ホテルを応援する内容が面白く、よく視聴していた。そのため、この番組で紹介された中村旅館が洞爺湖温泉街にあるのを知っていたので、お湯に浸からせて頂いた。とってもいいお湯だった。
洞爺湖温泉街には、温泉旅館やお店がたくさんあって、〈平時は賑わっているんだろうな、はやく復興してほしいな〉と思いながら、家財道具の搬出作業や徐灰作業に従事していた。
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3、縮小する地域コミュニティ
有珠山は20~30年おきに一度、噴火を繰り返してきた。そして、有珠山が噴火すると甚大な被害を受ける洞爺湖温泉街は、そのたびに人口がガクン、ガクンと減ってきた歴史をもっている。
有珠山が噴火し、旅館やお店が営業できなくなる。その影響に耐え切れず廃業し、生きていくために町外に出ないといけない。
復興するまでなんとか我慢して再建した旅館やお店も、次の噴火のときには耐えきれず、廃業し、経営者も従業員も町外に出て行ってしまう。
そうしたことが繰り返されて、洞爺湖温泉街という地域コミュニティは、噴火のたびごとに縮小してきた。そういうお話を聞きながら、今より20キロも痩せていた若き日の私は、こう思った。
〈世界のなかで上位を占める経済大国となり、豊かさを享受したこの国で、災害が起きるたびに地域コミュニティが小さくなっていく現状が放置されているのは、いったいぜんたいなぜなのだろう? 生まれ育った地域に住み続ける権利は、自然災害とともに消え去ってもいいのだろうか? もっと支援を拡充すべきではないのか?〉
そういう思いが、この20年間、頭にこびりついて離れなかった。
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4、もっと支援を拡充してほしい!
2000年当時は、冒頭の東京新聞の記事で紹介されている「被災者生活再建支援法」はあったものの(1998年制定)、使途が限定されていた。損壊した住宅の再建の場合は、撤去費用にしか充てられなかった。だから、被災地のみなさんはブーイングだった。
ちなみに、11月30日に無事参議院を通過し成立した同法は、いまでは住宅再建にも支援金を充てることができる。けれども、被災者への支援としては、いまだ十分だとはいえない。今年の夏に起こった令和2年7月豪雨で甚大な被害を受けた人吉市や八代市の商店街や温泉街が、いまだ再建の危機に直面しているように。
そういう経験や思いがあったものだから、記事を読んで〈もっと支援を拡充してほしいな~〉、〈できることなら300万円という上限をもう少し上げてほしいな~〉と感じたのだった。