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1、異論を受け付けない医師
一昨日の記事で、PCR検査を受けられず亡くなられた金沢大学の高橋准教授を誤診した医師が、悔やんでいると信じたい、と書いた。なぜそう書いたかというと、経験上、お医者様のなかには、自分の診断は絶対だと信じこみ、異論を受けつけない人もいるからである。
私の長男Aくんもまた、そのような誤診を過去に受けたことがある。
小学4年の初夏。学校から帰ってきたAくんは、ひどく発熱していた。喉も腫れていた。食欲もない。
Aくんと長いあいだ接している私にはすぐにわかった。「溶連菌だ!」
でも、かかりつけのクリニックはもう受付が終了している。そこで、夜まで待って、市が開設してくれている夜間診療に連れて行った。
そこで、信じがたいことが起こった。当番医のXという先生が、「あ~。これはヘルパンギーナだね」と言い切ったのだ。
私は食い下がった。「この子は、溶連菌にかかりやすいんです。素人目で見ても、溶連菌にかかった時と同じ症状なんです。検査してもらえませんか?」
「いや、ヘルパンギーナで間違いないから、検査の必要はないよ!」
その横柄な態度に、何を言ってもだめだとあきらめてしまった。そして、処方されたたんなる感冒薬をもって、自宅に戻った。
◇◆◇◆◇
2、運動会に出られなかった、4年生の夏。
食べ物を受け付けず、立つのがつらくて布団にうずくまり、高熱で苦しむAくん。
翌朝、すぐかかりつけのクリニックに連れて行った。
かかりつけの先生は、すぐに検査をしてくれた。話が早い。
やはり、溶連菌は「陽性」だった。
処方された抗生剤を飲み、Aくんはぐんぐん元気になっていった。
ところが、その週末に開催された小学校の運動会には、間に合わなかった。
熱は引いていたけれど、倦怠感があったらしく、Aくん自身の意思で、出場を辞退したのだ。
Aくんが出なかったから、というわけでは全くないのだけれど、紅組はその年も敗けてしまった。これで紅組は3年連続の敗退。
〈もし、あと1日はやく、薬を飲めていたら・・・〉
最後まで諦めず、X先生と張り合わなかった自分を恥じた。
◇◆◇◆◇
3、2年連続の大誤診!
翌年。Aくんが小学5年生のときの初夏。
「去年みたいに、また運動会前に溶連菌にかからなければいいね~」と冗談を言っていたら、それがフラグになってしまったのか、ほんとうに同じ症状が出てしまった。
しかも、またかかりつけのクリニックの開院時間外。
今度は、K子さんがAくんを夜間診療へ連れて行った。そうしたら、起きてほしくない「奇跡」が起こった。なんと、このときの当番医もまたX先生だったのだ!
あとで聞いたのだけれども、案の定、X先生は嬉しそうに「ああ~、きたきた。これはヘルパンギーナだね」と言い切ったのだという。それに対し、K子さんは、わかってもらいたい一心で、笑顔で「でも溶連菌にかかりやすいので、いちおう検査したほうがいいと思うんですけど・・・」と食い下がった。しかし、その意見は頑として受け入れてもらえず、何を言っても無駄だとあきらめるしかなかったという。
次の日。かかりつけのクリニックで検査してもらったら、溶連菌はやっぱり「陽性」。
Aくんは、こうして5年生の運動会も棒に振った。
しかも、5~6年生合同で闘う騎馬戦では、Aくんの抜けた穴を、全チームがAくんと同じポジションの子を繰り上げる緊急チーム編成にしてしまった。だから、途中からはどのグループも、いつも一緒に闘ってきたメンバーではなかった。それが影響してか、練習試合ではいつも騎馬戦で勝っていた紅組が、まさかの敗退。紅組は、総合成績でも4年連続の敗退となってしまった。
勝負ごとはやってみなければ分からないけれど、X先生の誤診は、Aくんの人生のみならず、紅組の仲間の人生にまで影響を与えてしまった可能性が拭えない。
◇◆◇◆◇
4、X先生の誤診の、何が問題なのか?
X先生の姿勢で許容できないのは、所見から予想されるあらゆる病気の可能性を検討せず、一方的に診断を下していることである。くわえて、保護者の意見をとるに足りないものと初っ端から見下している点である。
その結果としての大誤診。しかも、検査すればわかる病気なのに、同じ症状を、同じ病名により2年連続で誤診されたわけである。怒りもわいてくる。
けれど、私も人のことは言えない。間違いをたくさん犯してきた。
でも、人間は反省できる存在だから、間違いを次に活かそうとする。迷惑をかけたら謝ろうとする。
お医者様の場合、所見に該当する病気を見破れなかった、或いは、新しい病気ゆえに診断を間違ってしまった、という場合が多々おありだと推察される。でも、そういう誤診をしてしまったとしても、ふつうのお医者様なら、次の診察時にその経験を生かそうとされるだろう。
まだまだ修行の足りない私だって、できるだけ自分を客観視し、反省しようと努力できるのだから。
でも、X先生の場合、自分の診断は絶対という姿勢だった。
これでは同じ過ちが繰り返される。そして、今後もずっと誤診で苦しむ人が出てしまう。それが嫌なのである。
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5、人生を狂わせる誤診
しかも、X先生の誤診は、Aくんと紅組の仲間たちだけでなく、ほかの患者さんの人生も狂わせてしまっている可能性がある。どうか、そういう可能性に思いを馳せてほしい。そう祈らずにはいられない。
金沢大学の高橋准教授を診察し、コロナでないと誤診されたお医者様もまた、その誤診がひとりの人生を狂わせてしまった。しかも、Aくんや紅組のこどもたちなら「一生懸命闘って負けたならそれにも価値がある」と励ませるけれど、高橋さんの〈いのち〉は。けっして戻ってはこない。
その冷厳な事実を前に、どれだけ苦しんでおられるのだろう?
そう想像すると、苦しくなる。誤診を一方的に責められない気持ちになる。
でも、もしこのお医者様がX先生と同じような人であれば、自責の念にかられていないかもしれない。
そういう恐怖が、一瞬頭をよぎってしまった。
そうではないと信じたい。悔やんでおられると信じたい。
そうでなければ、また同じ過ちが繰り返されてしまうかもしれないのだから。