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1、利権の存在が隠されなくなった
新型コロナウイルスのパンデミックが発生して以降、驚かずにはいられない出来事のダントツ1位は、コロナ禍でおおくの業界が苦境に立たされ、たくさんの人が生活苦にあえいでいるにもかかわらず、利権の存在が隠されなくなったという現実である。
昨年春に発覚した、持続化給付金の委託金の幽霊法人による中抜きが、どうやらオリンピックの延期で業績が悪化している広告代理店を救うためのものだったらしいことは、いまや誰もが知るところとなっている。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73379?imp=0
感染が収束してから実施という閣議決定を反故にしたGoToトラベルの前倒しに関しても、業界団体から献金を受けている二階幹事長の意向が反映されていたらしいという事実は、誰もがよく知っている。
私自身は、広告代理店や旅行業界に敵意があるわけではない。むしろ、6人家族ゆえ、年に1回がギリギリの家族旅行を敢行する際には、たいへんお世話になっている身である。
でも、それを差し引いても、利権を優先する政治が横行する現状は、見逃してはならないと思っている。なぜなら、特定の人物や業界だけが得する利権の横行は、戦時中にもみられたひとつの特徴であり、経済が傾く兆候だといえるからである。
https://bunshun.jp/articles/-/39127
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2、戦争中に恩恵を受けた産業
弊ブログ1月30日付記事で書いた通り、理不尽な理由で社会から多様性が失われ、多くの人が仕事を奪われ、経済苦にあえいでいくようになった一方で、戦争を遂行するために必要なものを生産する企業や財閥は、さまざまな側面で優遇されていた。
たとえば、戦後忘れ去られていた伊那飛行場の存在を浮き彫りにされた元高校教諭・久保田誼さんに教えて頂いたお話は、この点に関連してとても興味深い。
伊那飛行場は、特攻兵として出撃する訓練生の練習場所として建設された。その建設には、地域の住民や学生が勤労動員された。伊那飛行場の近くには、訓練生の乗る飛行機を生産する企業の工場もあった。それらの工場は、都市の空襲で破壊されたあと、伊那地方に疎開してきたものだった。
そして、驚くべきことに、そうした工場にはなんと、こどもたちが学ぶ場所であるはずの、地域の学校の校舎があてがわれていたのである。つまり、戦時中は、理不尽な理由でどんどん潰される業界があった一方で、一部の業界は公的に手厚い庇護をうけていたのだ。そうした業界は、戦争を遂行するための物資生産という利権を握っていたからこそ、恩恵を受けられたわけである(※1)。
《参考文献》久保田誼著(1995)『伊那谷の青い空に――高校生の追う陸軍伊奈飛行場物語』銀河書房
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3、きめ細かな支援こそ、経済回復への近道!?
しかし、そのように、社会から多様性をつぶし、一部の産業だけを優遇し戦争を続けた結果、終戦直後の日本は、敗戦も相俟って、世帯当たりの所得が100から40へと激減するほどの経済的なダメージを被った。
現代に目を移してみても、エリツィン時代のロシアのように、身内や利権を優遇する政治がはびこる国では、経済が上向かず、国民の生活は苦しくなる、という事例がたくさんある。その原因はやはり、利権政治が国民の多様な経済活動を阻害するため、全体としてパイが増えないからなのだろう。
いまのように、潤沢な支援を受ける業界がある一方で、飲食業界のように不十分な協力金しかもらえず、業種によっては協力金すら存在しないという、利権優遇の偏った政策が続けられてしまっては、何度も指摘しているように、社会全体の経済のパイが収縮し、コロナ後の日本社会に深刻な打撃を及ぼしかねない。
大急ぎで断っておくと、旅行業界といっても、検索サイトに登録していないような小さな民宿やペンションなどは恩恵を受けられないという、同じ業界でもほんとうに狭い部分にしか利益がまわらない政策になっている点も、指摘しておかなければならないだろう。
利権を優遇すると、国の経済自体が収縮しかねない。この観点からみてもやはり、どんな業界であっても、経営規模の大小を問わず、きめ細かな支援を図り、コロナ禍が去ったとき速やかな経済回復ができるよう、準備しておくべきなのだ。
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【注】
(※1)労働力として学生たちが動員されたのも、軍需産業にたいする特筆すべき優遇政策だといえる。また、戦時中の利権は、ほかにも、強制連行による労働力の確保などがあげられるけれど、ここでは指摘するにとどめておきたい。
【挿入した参考記事】
・時任兼作さん「持続化給付金だけじゃない、日本の至る所にちらつく「竹中平蔵氏の影」」『現代ビジネス』2020年6月18日記事
・「Go Toキャンペーン受託団体が二階幹事長らに4200万円献金」『文春オンライン』2020年7月21日付記事
澤 先生
メールを開かず失礼しました。貴重なブログだと思います。
中島飛行機の疎開工場の件ですね。
特に尋常高等小学校の生徒たちが、空襲の危険にさらされる疎開工場の労働力とされる
法制度のもとにおかれたわけですから大変な事態だったわけです。
ご活躍をお祈りします。 久保田 誼
久保田 誼 様
ご無沙汰いたしております。弊ブログ記事へのコメントを頂き、誠にありがとうございます。
その節は大変お世話になり、ありがとうございました。
二男がいま中学1年生で、当時であればちょうど空襲におびえながら工場で働いていたであろう年齢です。
そう想像しますと、ほんとうにおかしな時代だったのだな、と感じます。
親としてやり切れない気持ちになります。
今後とも、ご指導よろしくお願い申し上げます。
ものぐさ講師(澤 佳成)