~~~~~
1、疑問
しかし、通常国会にあわせて審議された政策は、そうしたきめ細やかな対応とはまったく逆行する方向へと進んだ。政府は、政策に従わない事業者への厳罰化という、街の文化の多様性をなくしてしまう方向での法改正まで検討し始めた。
1月29日の報道では、与野党の協議により、「新型インフルエンザ対策特別措置法」改正案での厳罰化は見送られ、過料だけですむことになったらしい。
この判断変更には、与党国会議員による、深夜までの銀座高級クラブでの飲食が国民の顰蹙を買ったのも影響していると思うけれど、それまでは、政府・与党はかたくなに厳罰化を望んでいた。
厚生労働大臣は、国会で、厚生科学審議会感染症部会の結論も「厳罰化にはおおむね賛成」だったと何度も答弁していた。しかし本当は、感染症部会に出席する有識者の8人が反対、3人が慎重意見で、賛成した3人もやむなく賛成だったらしい。
それが明らかになったのは、1月27日に部会の議事録が出てきてからだった。
怪しい。なぜ政府は、部会で慎重意見があった事実を伏せてまで、頑なに厳罰化を望んだのだろう?
◇◆◇◆◇
2、反論
北村晴男弁護士も、1月14日放送の『バイキング』(フジテレビ)のなかで、量刑がつりあっていない、重すぎると指摘されていた。日本弁護士会は、1月22日付で「感染症法・特措法の改正法案に反対する会長声明」を出した。
《参考》日本弁護士会の声明
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2021/210122_2.html
毎日新聞によると、保健師さん、看護師さんの関係する4団体も反対声明を出した。声明では、入院したくても育児や介護で不可能な家庭環境があったりするのであって、罰則が科されると、そうした世帯の人たちは検査に来てくれなくなってしまうのではないか、そうなると本末転倒だ、それよりも、そうした世帯への支援策を拡充するほうが先だ!といった、とても重要な指摘がなされているのだという。
《参考》『毎日新聞』2021年1月26日記事
https://mainichi.jp/articles/20210126/k00/00m/040/140000c
恥ずかしながら、1月26日の辻本清美衆議院議員の質疑を見ていて初めて知ったのだけれど、ホテルなどの療養施設も、消毒作業が追い付かないため、部屋があっても入れないのが現状なのだという。だから、家族にウイルスをうつしたくないとホテル療養を希望する人も、その多くが自宅療養しか選択肢がないというのが現状なのだそうだ(※)。
政府の部会に出席する有識者も、医療界も、保健所も、法曹界も、その多くが、かえって混乱が増すだけだと、厳罰化に反対している。
◇◆◇◆◇
3、効果
それなのに厳罰化に固執するのだから、やっぱり怪しい。
その背後には、なにか隠れた意図があるのでは?と疑ってしまう。
もしかしたら、その意図とは、感染症法と新型インフルエンザ対策特措法を厳罰化することで、世間に充満する批判の声を抑えこみたいという欲望なのではないか?
コロナ禍を利用し利権を優先することへの批判の声、GoToトラベルの停止と緊急事態宣言の「発出」の遅さが感染拡大を招いたのだという声、なのになぜ飲食店だけがやり玉に挙げられるのかという声、なぜうちらの業界には協力金が支払われないのかという声、なぜ補償と言わずに協力金というのかという声・・・。
世間では、政府の〈竹やりの精神〉をきちんと批判する、こういった声があふれている。
一方、政府の側からみれば、支持率低下の要因でもあるこうした声が上がっている状況は、けっして面白くはないだろう。
そこでもし、時短要請に応じない店にたいしては多額の罰金を課し、そして店名を公表するという法律上の厳罰化が実現すれば、政府にとっては、こうした批判の封じ込めがかなり期待できる、といわけだ。
~~~~~
【注】
(※)自宅療養というのは、魔法の言葉だ。玉川徹さんが的確に指摘されたように、自宅療養とは、感染者の絶対隔離という感染症法の趣旨が実現できていない行政の瑕疵の結果、仕方なく行われている違法状態である。だから、目が届かずに急変した患者さんが亡くなるという不幸が、いたるところで生じてしまっている。それなのに、自宅療養というとそこのところの責任問題が薄まってしまうからである。玉川さんがいうように、ほんとうは「自宅放置」というべきだと私も思う(1月29日放送『羽鳥慎一モーニングショー』)。そうした現場で苦しまれているのが、昨年の春先から、いまのうちに冬に向けた対策をと訴え続けてこられたお医者さん、看護師さん、保健師さんたちである。だからこそ、救われるべきいのちが救われない状況を改善する政策こそ、どんどん打ち出すべきだ、厳罰化なんて間違えている!と指摘されているのだ。ほんとうにその通りだと思う。