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4、逆転
厳罰化による効能は、それだけではない。
法を厳罰化することができれば、法をやぶる飲食業者こそが悪で、それを取り締まる自分たちこそが善なのだ、正義を執行する者なのだという、わかりやすい善悪の二元論が成立する。
そうなると、ここのところ社会問題の根本原因を突くのがとことん苦手になっているマスメディアは、一気に踵を返し、飲食業界につらくあたりはじめる可能性がある。
そうすれば、いま批判にさらされている政権は、一発逆転ホームランを打った後のように、ヒーローになれる。自分たちの失政の結果としておこった感染拡大の責任を反転させて、飲食業者のせいにできる。
そうやって、支持率回復を目指そうとしたのではないか。
市民や有識者の反対を押し切ってまで厳罰化を望んだ背後には、そういう欲望が潜んでいたのではないかと思えてならないのだ。
この点で、東京工業大学准教授の西田亮介さんが『論座』に寄稿されている論考は、たいへん刺激的で興味深い。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020122700003.html?page=1
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5、正義
こうした欲望が、もしも政府にあるのだとしたら、それはまさに、戦時中の日本政府がとっていた政策と共通するものだといえる。戦時中の権力もまた、治安維持法をはじめとした法の厳罰化で諸自由を封じ込めることによって、長いあいだ、自分たちの正当性を保てたからだ。
戦時中、政府への批判は、どんどん御法度になっていった。それでも政策を批判したり、徴兵を拒否したりしようものなら、非国民となじられ、ときに憲兵に連行され、命を落とす可能性すらあった。
そうして、「正義」を執行する権力こそが善で、それにたてつく市民は悪となった。
だが、そうして多様な声をつぶしていった結果、軍略上もおかしい特攻作戦、あきらかに行き過ぎの小中学生の兵員としての動員といった政策がとられても、方針を転換したほうがいいという声は上がらなくなった。
そして最後には、一億玉砕こそやりとげねばならない、というところまで「正義」は暴走した。
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6、抵抗
正確にいえば、市民のなかにも、憲兵を説得し、終戦まで徴兵を拒否した人はいた。
特攻作戦を批判し、攻撃が終了したら基地に戻る作戦を実施し続けた海軍の部隊もあった。前にも言ったけれど、特攻作戦は軍略上おかしい。1回の攻撃で、戦闘機という貴重な資源も、戦闘員という貴重な兵力をも、一度に失ってしまうのだから。
そのように特攻作戦に異を唱えたのが、美濃部正少佐だった(1915~1997)。
《参考》『時事ドットコム』記事「「特攻拒否」貫いた芙蓉部隊」
https://www.jiji.com/jc/v4?id=fuyou201508a0001
けれども、そうした動きは例外中の例外だった。
戦争中、自分たちの正当性を担保するためだけに異論を排した権力からは、政策判断における合理的思考、科学的思考が、完全に抜け落ちていた。その問題点を理解している人も、もはや何も言うことができない重苦しい空気が、この国に垂れ込めていた。
(戦闘行為そのものを擁護しているのではありません。念のため)