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7、理性
それゆえ、正当な批判を抑圧し、自分たちこそ「正義」だと示したい、という欲望の問題は、それが完全に政治的かつ私利的な欲望であって、暴走すればするほど、目前の非常事態の根本的解決に必要な、客観的把握をもとに理性を行使する姿勢からどんどん離れていってしまう、という点に集約される。
理性は、英語でいうとReasonである。つまり、ある事象の原因・理由をさがす能力である。
冷静に考えればわかることだけれど、戦争へと至るプロセス、戦闘での敗戦には、かならず原因がある。
同じように、コロナの感染拡大がおさまらない現状にも、かならず原因がある。
だから、まずはいくつも考えられる原因を想定し、しらみつぶしに調べてみる。そして原因が分かったら、どうすればその要因を排除できるか考え、実行する。成果が出ないようであれば、考えておいた別の手立てを実行する。
非常時こそ、こうした理性的な思考が試される。よりよい方策を探っていくのに必要な、あらゆる知見をえるための、多様な意見の交換が重要になる。
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8、無謬
けれども、間違いを認めようとしない権力は、自分たちの意図しない声をたんなる非難だと勘違いしてしまう。そして、政府を批判する意見を述べた人たちに厳罰を処す法を、つくりだそうとする。
そこにあるのは、自分たちの考え方は絶対に正しい、誰もが従うべきだという絶対無謬性である。わかりやすくいえば、自分たちの意見はぜったいに間違えてなどいないという、根拠のない自信である。
しかし、そうやって耳の痛いことをいう存在を消し去ってみたところで、あるいは黙らせてみたところで、目の前にある非常事態までをも一緒に消し去ることはできない。
だから、多様な意見を交換する気風を葬り去った結果、待ち構えているのは、まちがった方向性をただすのに必要な、理性的な議論による自浄作用の喪失であり、その帰結としての、国家の破滅である。
これもまた、アジア太平洋戦争という歴史から学ぶことのできる、重要な教訓のひとつだったはずである。
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9、岐路
それゆえ、過剰な厳罰化は、現に慎まなければならないと思うのだ。
けれども、いろんな世論調査をみていると、昨年末よりは減ってきているものの、厳罰化を望む声はまだかなり高い。
《参考》「新型コロナ みんなの考えは?」『朝日新聞デジタル』
https://www.asahi.com/politics/yoron/corona/
その点を考慮すると、コロナ対応にはなんの役にも立たない、権力の、権力による、権力のための、純粋に政治的な欲望が、強権発動を望む市井の欲望によって実現されてしまう可能性も否定できない。
そうだとすると、いま私たちは、多様な声と科学的知見をもとにコロナ禍を乗り切るか、あるいは、権力者の私欲を維持するための法改正によって正当な批判をつぶし、重苦しい空気が支配するコロナ禍のあとの地獄を選択するかという、岐路の時代に立たされているといえるのかもしれない。
しかし、後者であっていいはずがない。そうだとするなら、政府はやはり、いま各方面からあがっている批判の声に耳を傾け、きめ細かな政策を実施する必要があるのだと思う。
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10、学ぶ
私たちは、歴史に学ばなければならない。そして、現在の延長として予測できる悪い未来を回避するよう、議論し続けないといけない。
幸い、私たちはそうした実践が可能な「現在」に生きている。
湯浅誠さんが警鐘を鳴らしているように、ヒーローを待望するあまり、思考を停止し、自分たちで絶望の未来を選択するようなことがあってはならない、と私も思う。こどもたちの未来のためにも。
では、いったい何をどうすればよいのだろうか?
その点については、明日のブログで考えてみたい。
《参考文献》
・湯浅誠著(2015)『ヒーローを待っていても世界は変わらない』朝日文庫
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《最後に》
この「歴史上の共通点⑥ 重苦しい空気と厳罰化」の記事では、毎回欠かさず見ていたNHKの大河ドラマ『真田丸』を意識して、小見出しを全部2文字で統一してみました。どうでもよい報告でごめんなさい。