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1,世代間公平負担!?
「私は東京外環道計画については、地域の環境を守り、次世代に負の遺産を残してはならないとの立場から、10年近く前から異議を唱えてきました。それだけにすごく残念」という文面を拝読して、私は、大村さんがレクチャーのなかでいつも強調されている、「世代間公平負担」という論理で公共事業が進められている問題点についてのお話を思い出しました。
大村さんが教えてくださったのですが、ひとたび道路などの公共インフラができれば、そこには維持管理するための費用、数十年後に更新するための費用がかかります。国土交通省は、2030年には、そうした公共財の維持管理費と更新費だけで公共工事の予算を使い切り、道路や橋梁などの新規建設費に回すお金はなくなると、自ら推計しています。
しかも、少子高齢化が進み、市民が自動車を保有する台数が年々下がり、市民が自動車を運転する平均距離も下がっていたりするので、国の膨大な借金で首が回らなくなってきている今、さらに借金を増やす大型道路の新規建設が本当に必要なのか、と大村さんは疑問を呈されます。
こうした問題を回避するために持ち出されるのが「世代間公平負担」という考え方なのです。
平たく言えば、「この道路が完成したら、未来世代の人たちだって利用するだろう、だったらその分を負担してもらえばいいのだから、借金して作っても問題ない」という考え方です。
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2,世代間公平負担の問題点1~責任が取れない!~
でも、この考え方には、環境思想の観点からいって、看過できない問題がふたつ潜んでいます。
第1に、それは、責任という視点から見たときの問題です。
責任は、英語でいうとresponsibility。ここには「応じる」という意味のresponseという動詞が隠れています。つまり責任とは、何よりもまず、他者から何かこうして欲しいと求められたとき、それに対して自分ごととして応じる姿勢を指します。
ところが、将来世代はまだ生まれていないのですから、「道路をつくってほしい」と言えるわけがありません。それなのに、「将来世代だって、この道路を欲しがっているはずだ」と勝手に推測し、建設する、というのが、いまの公共事業のあり方なわけです。
しかし、その結果、ものすごく借金が膨れ上がり、未来世代の人たちが「なんてことをしてくれたんだ!」と思っても、道路を中心となって建設した世代は、数十年後にはもうほとんどいません。だから、自分たち未来の世代の思いを口実に、借金をこさえてまで道路をつくった責任を、問うこともできない。
道路をつくる決定を下した現在の世代が、物理的にも道義的にも責任を取ることはできないという点で、大問題なのです。
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3,世代間公平負担の問題点2~将来世代の意思など分かるはずがない!~
第2の問題は、第1の問題点とかかわってきますが、存在していない世代の意思は確認などできないはずなのに、勝手に推測しているという点にあります。
未来世代の人たちは、ほんとうは、「人口も減るし、ヒートアイランドの問題もあるから、都市の緑は守ってほしい」と思っているかもしれません。
道路をつくってほしいと思っているか、緑を保全したいと思っているか、いずれにせよ将来世代はまだ生まれていないのだから、議論に参加することはできません。
そうだとすると、倫理的な姿勢として最善なのは、財政にせよ自然環境にせよ、できる限り現状維持、あるいは今よりもより良い状態で、未来世代のために残しておく、という選択です。
だから、少しでも良好な環境を次世代に渡せるよう、環境保全をするのが現在世代の責任のはずではないか・・・。そう考えるのが、環境思想のなかの「世代間倫理」という考え方です。
ところが、世代間公平負担の論理は、この視点がなく、作ることが前提になっています。
世代間公平負担は、少なくともこれらふたつの視点で問題ぶくみの論理だと私は考えています。