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1,遅れている住民参画
大村さんが受けた仕打ちはあり得ないと思いました。堪忍袋の緒が切れるのはごもっともです。
公共事業の計画段階から住民参画の制度が義務化されていないのは、先進国ではいまや日本くらいのものなのに、事業者のミスを市民が問うことすら許されないというのが現状なわけですから。
もちろん、ほかの先進国でも、公共事業が最初から市民参画の下に進められてきたわけではありません。いまの日本と同じようにトップダウン的な仕組みだったけれども、「やっぱり住民の意見が聴けないのはおかしいよね」というふうに考え方がかわり、戦後の歴史を経て、徐々に徐々に仕組みが整えられてきたのです。
たとえばドイツでは、公共事業を進める際、計画段階から市民が参加しないと進められないような法体系に今ではなっています。
日本でも、たとえば宮城県仙台市では、道路計画を市民参画のもとで根本的に見直し、事業計画を廃止したりしています。市民参画を制度化している地域は、日本でもたくさんあります。
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2,そもそも住民参画制度がない法に基づいた道路計画
ところが東京では、1964年のオリンピック前につくられた都市計画が、今回のオリンピックにあわせて亡霊のようによみがえってきています。
日本の都市計画法では、市民に意見を聞くのは努力規定ですが、それよりも大きな問題があります。それは、現在の都市計画が、そもそも市民の意見を聞くという考えすら念頭にない、戦前に制定された旧都市計画法に依拠しているという事実です。
ちなみに戦後行われた都市計画法の改正は1968年。前回東京オリンピックの4年もあとの出来事なのです。
【参考】山本俊明著(2019)『僕の街に道路怪獣が来た――現代の道路戦争』緑風出版
『僕の街に道路怪獣が来た』(緑風出版、2019年)の著者、山本俊明さんによれば、都市計画法が改正される前に、多くの都市計画が駆け込みで策定されたといいます。つまり、それらは、国民主権を謳う現憲法の理念が織り込まれていない旧都市計画法に基づいてつくられてしまったのです。
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3,住民参画の制度を!
若葉の森を貫く道路(調布3・4・10号線)も、外環道も、それぞれ1963年、1966年と、ほかのおおくの道路計画と同じように、都市計画法が改正される前に策定された、亡霊のようなものなのです。
しかし、旧都市計画法に依拠しているからといって、現憲法になってから70年以上が経つ21世紀のいま、住民が話し合いから排除されてよいという理由にはなりません。
もし、外環道の計画が戦前の都市計画法に基づくものだった、と知れば、おそらく多くの方はおかしいと思われるはずです。
公共事業における、計画段階からの住民参画制度の義務付けが、そのように権利意識の高まってきている日本で出来ないはずがありません。見直される必要があると私は思っています。
大村さんは、説明会でそうした現状を何とか打ち破りたかった。でも、まともに相手にされなかった。今回のようにたいへんな事故が起こったあとでも、そうした住民軽視の現実があることを、大村さんの証言は物語っています。