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1、なぜ大川小学校の悲劇は起こったのか2――意見が届かなかった
戸倉小学校の奇跡は、職員会議で先生方みんなが議論した結果、避難先を独自に変更する判断がもたらしたのだった。
一方、大川小学校の場合、唯一生き残った教務主任の先生が証言されなくなったために、十分に解明されていないのだけれど、生存者の証言からは、避難先についての議論の場に、教務主任と教頭以外の教職員の姿がほとんど浮かんでこない。
教務主任の先生は、当初から裏山への避難を進言されていたらしいけれども、校舎と校庭とを行ったり来たりしていて、ずっと教頭と地区長との議論の場にいたわけではなかった。そのため、最後に校舎から出てきたときには避難が始まっていて、最後尾をついていったと証言されている。
また、これはかつてテレビ番組で見たことなのだけれど、高学年の子たちが、教頭先生に裏山へ逃げるべきだと直訴した姿も目撃されている。でも、先生に却下され、悔し涙を流していたのだという。
『女性自身』の記事を読んで、その子が、宮城県と石巻市を訴えた原告団でご遺族の今野裕行さん・ひとみさんご夫妻の長男・大輔くん(当時小学6年生)だったとわかった。
https://www.jprime.jp/articles/-/20224
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2、先生方も声をあげてくれていれば。
このように、受け入れられていればみんなが助かったかもしれない意見も、判断権者である教頭先生には響かなかった。これもまた、悲劇が起きてしまった重大な原因のような気がしてならない。
もしも、大輔くんが「先生、裏山へ逃げっぺ」と声をあげたとき、加勢してくれる先生がいたとしたら・・・。それも、複数の先生が「こどもたちの意見はもっともだ」と言ってくれていたとしたら・・・。
教頭先生の判断は、違っていたかもしれない。
大輔くんのいのちは、助かっていたかもしれない。
さらに、当時、消防が絶対にしないでと呼びかけていた堤防への避難が始まった際、体を張って「いま川沿いを通っては危ない。裏山に逃げよう!」と叫ぶ先生が一人でもいたら、悲劇は防げていたかもしれない。
こう想像してみると、先生方の意見が尊重されていたようにみえる戸倉小学校と比べ、大川小学校では、先生方の関係が対等ではなかったのではないか、と胸騒ぎがしてならないのである。
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3、もしかしたら、上意下達の風土があったのかも・・・
小学校の教員をしている大学時代の先輩から伺ったお話なのだけれど、勤務評定や学校評価制度などにより、国が露骨に教育現場に介入している今、先生たちは管理職に統制されるような状況になっている。その結果、職員会議の場は、管理職の目が気になって先生方がなかなか意見を言えず、活発な議論を交わす空間ではなくなり、管理職の方針のたんなる報告会になってしまいがちなのだそうだ。
先輩は、「気を吐いているのは自分くらいだよ」と寂しそうに教えてくれた。
もしも、大川小学校の教員団もまた、そうした上意下達の空気に支配されていたとしたら・・・?
裏山へ逃げるべきだと思っていても、堤防への避難はやめるべきだと思っていても、先生方は、その声をグッと飲み込んでしまっていたのかもしれない。そんな想像がふくらんでしまって仕方がないのである。
そう考えると、大川小学校の悲劇は、授業準備ばかりでなく、管理職に提出する書類の作成で忙しくさせられ、勤務評定で上の目ばかり気にせざるをえなくなり、上意下達の空気がどんどん強化されて、こどもを中心としたフラットな議論ができなくなっていた先生たちの労働環境が原因だったのではないか、とも思えてくる。